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ハむカラ

出兞: フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』

ハむカラは、西掋颚の身なりや生掻様匏をする様、人物、事物などを衚す日本語の単語。

1898幎明治31幎頃から圓時東京毎日新聞[泚 1]の䞻筆であった石川安次郎が玙䞊で䜿い始めたのが流行語ずなり、やがお定着した。皮肉を蟌めお挢字で灰殻ず曞かれるこずもある。察矩語はバンカラ。

抂説

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明治時代埌期に西掋かぶれを意味する流行語・俗語ずしお誕生したが、埌に広く䜿甚される䞀般的な単語ずなり、広矩には第二次䞖界倧戊たでの西掋化颚朮たで含める。明治埌期から昭和初期にかけおは「ハむカる」ずいう動詞も掟生し、「ハむカった人」などのように甚いられた。

しかし、戊埌になるず原矩に近いニュアンスで䜿甚されるこずは少なくなり、むしろ「ハむカラ」ずいう語が流行した時代の颚俗を象城したり、懐叀調の雰囲気を出すために䜿甚されるこずが倚くなった。このため、ドラマや小説などではこの語を䜿甚する人物の幎霢や時代背景を挔出するために甚いられるこずもある。

倚くの堎合「圌はハむカラなり」「あの建物はハむカラだ」などのように、いわゆる圢容動詞ずしお䜿甚されるか、「ハむカラ髪」「ハむカラうどん」「ハむカラ文士」などのように他の名詞に修食的に冠せられお䜿われる。単独の名詞ずしお甚いられる堎合は、「頭をハむカラ髪に結い」→「頭をハむカラに結い」、「私はハむカラうどんがいいな」→「わいはハむカラがええな」のようにハむカラが修食語ずしお付く名詞の省略圢であるこずが倚い。

語源

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ハむカラずいう蚀葉を“発明”した石川安二郎

語源は、明治時代の男子掋装の流行であったハむカラヌhigh collar、高襟、すなわちワむシャツに付ける䞈の高い襟に因む。このような高い襟を぀けた政治家や官吏を指しお暪浜毎日新聞の石川安次郎が玙面の『圓䞖人物評』においお1898幎-1899幎明治31-32幎頃から「ハむカラア掟」、「ハむ、カラア党」などず䜿い始めたのが1900幎から流行したもの。䞀郚の曞籍には1900幎明治33幎6月21日に初めおこの蚀葉を䜿ったずの説[1]も芋えるが、同評ではそれ以前から䜿甚されおおり、必ずしもこの日を初出の日付ずするこずはできない。

圓初は保守䞻矩者を「チペム髷党」ず揶揄し、察比しお開囜䞻矩者や進歩䞻矩者のキザな感じを冷評する際に、その象城ずしお特城的な高襟を着けた服装を指したものであった。埓っお本来は西掋かぶれ、あるいは倖面や圢匏のみを远い求める軜䜻浮薄な様子ずいった負の意味が匷かったが、転じお進歩的、近代的、華麗、優矎、お排萜など、肯定的な意味合いになっおいった。

流行のきっかけ

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石川の『圓䞖人物評』は排脱で蟛口な文章ず、次々ず繰り出される新語・造語でテンポ良く読たせるスタむルをずっおおり、他にもチペム髷党、ピストル党、コスメチツク党、ネクタむ党等々の語が新䜜されたが、本人曰くこれらは「少しも流行しなかッたが、唯歀のハむカラず云ふ䞀語だけが、銬鹿に倧流行を来した」石川、1912[2]ずいう。

なぜハむカラずいう語のみが流行したかに぀いおは、石井研堂1908が『明治事物起源』ずいう本の䞭の「ハむカラの始」ずいう項で説明しおいる[3]。それによれば1900幎明治33幎8月10日、竹越䞎䞉郎の掋行送別䌚が築地のメトロポヌルホテルで催された際、来客の䜕人かが挔説をしたが、そのうちの䞀人である小束緑がハむカラヌであるこずはむしろ文明的で、ハむカラを揶揄しおいた匵本人の石川圌も出垭しおいたでさえ今倕はハむカラヌを着おいるではないかず滑皜挔説をし、このこずが各新聞で取り䞊げられたこずで流行したずしおいる。

これら初期の経緯はそれぞれ以䞋のように解説されおいる。

石川安次郎自身による解説

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この語を「発明」した石川はその由来に぀いお、自著『烏飛兎走録』の「第二フルベツキ先生のピストル」p11-19[2]の章で以䞋のように曞いおいる旧挢字は新挢字に倉曎しおある。

p17ハむカラ語の由来p17/p18
我茩がハむカラず云ふ蚀葉を曞き始めた為めに、今日では倧倉に䞖間に行はれお居るが、歀のハむカラず云ふ蚀葉を曞いたのは、党く歀のフルベツキ先生の話のピストルに察照させる為めで有ッた、即ち東京毎日新聞に掲げたる圓䞖人物評䞭に、「山瞣、鳥尟、谷などは保守䞻矩の歊断掟、攘倷党の日本党、頑冥䞍霊なるチペム髷党、ピストル党であるが、倧隈、䌊藀、西園寺等は進歩䞻矩の文治掟で、開囜党の欧化党、胞襟闊達なるハむカラ党、ネクタむ党、コスメチツク党で有る」ず曞いたのが起因で、倖のチペム髷党、ピストル党、コスメチツク党、ネクタむ党などは少しも流行しなかッたが、唯歀のハむカラず云ふ䞀語だけが、銬鹿に倧流行を来した、今日では最早や我茩が発明したず云ふ事を知らずに甚ひお居る者も倚く、䞀の重芁なる日本語ずなッお仕舞ふたが、然るに実は我茩が歀のハむカp18/p19ラず云ふこずを曞いた起因を申すず、党く歀の時のフルベッキ先生の話を胞䞭に蓄えお居お、それを五六幎の埌に至っお新聞の䞊に珟はした結果で有る。

文䞭にある「フルベツキ先生の話のピストル」ずは、1895幎明治28幎4月25日、圓時石川が䞋宿しおいた長野県東筑摩郡束本町珟・束本垂の䞞茂旅通でフルベッキず䌚った際、フルベッキがか぀お西掋人の友人に、日本人のちょん髷は西掋人を撃぀ピストルだから日本に行くのは危険だ、ず日本行きを止められたこずがあったず語ったもの。䞁髷を反西掋・保守䞻矩の象城ずみなし、その圢状がピストルに䌌おいたこずから出た話である。

『明治事物起源』による解説

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石井研堂1908による『明治事物起源』[3]は明治に始たる皮々の事物・事象に぀いお、過去の新聞雑誌の蚘事などを元に解説したもので、以䞋はハむカラの語の由来を説明した䞀文である同曞 p.67-69、旧挢字は新挢字に倉曎しおある。

ハむカラの始
明治䞉十䞀二幎の比、毎日新聞蚘者石川半山氏、ハむカラヌずいふ語を玙䞊に掲げ、金子堅倪郎氏の劂き、掋行垰りの人々を冷評するこず床々なりし。泰西新流行の襟の特に高きを甚ひお枈たし顔なる様、䜕ずなく新垰朝をほのめかすに䌌お、気障きざの限りなりければなり。

然るに、䞉十䞉幎八月、築地のメトロポヌルホテルに斌お、竹越䞎䞉郎氏の掋行送別䌚を開きたる時、来客代る代る起ちお挔説を詊みたりしが、其の際、小束緑氏起ちお、ハむカラヌずいふに就いお䞀堎の挔説を詊み、䞖間倚くは、ハむカラヌを嘲笑の意味p67/p68に甚ゆれども、決しお巊には非ず、ハむカラヌは文明的にしお、其の人物の枅く高きを顕はすものなり。珟に、平生はハむカラヌを攻撃する石川氏の劂きも、今倕は非垞のハむカラヌを着け居るに非ずや云々ず滑皜挔説を詊みお、満堎の哄笑を博したり。その蚘事、各新聞玙䞊に珟はれお以来、ハむカラヌずいふ語の流行を来すに至れり。

最初は、この語を、気障生意気などの意に甚ひ、髮の分け方苅り蟌方の気障なるをも、ハむカラず冷評し、女の庇髪の出過ぎたるをもハむカラず眵倒したりしが、小束氏の蚀、讖しんをなせしにや、終には、其矩を匕䌞しお、排萜者、或は最新匏などの矩にも甚ひ、瀟䌚䞊䞋を通じお、䞀般の流行語ずなれり。特に可笑きは、小孊の児童たで、䜕某はミツドを持ちたればハむカラなり、倖套着たればハむカラなりなど蚀ふこず珍しからず。眪のなき奇語の、広く行はれしものかな。

奇語にお思ひ出せしが、日露開戊の初め、露探事件ずお、倧疑獄起こりたりしが、これより埌、他人を悪眵するに、露探々々ずいふこず䞀時行はれたりし。芝居に行き、幕間長きを憀りおさぞ、「早く幕明けないず、露探々々」など、眵る者ありしを聎きしこずあp68/p69り。䞀時の流行語には、䞀寞せし機䌚より生ぜし、想像倖の奇語あるを知るべし。

竹越䞎䞉郎の䞀文

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ハむカラずいう語の流行のきっかけずなった1900幎明治33幎8月10日送別䌚の䞻である竹越䞎䞉郎が、その著『萍聚絮散蚘』[4]の「陶庵先生」の章に、この送別䌚ずハむカラの語に぀いお短く觊れおいる郚分がある。それを䞋に匕甚する同曞 p125-126、旧挢字は新挢字に倉曎しおある。

䜙が䞀昚幎を以お海倖に遊ばんずするや、芪朋故旧䜙が為めに送別の莚を匵る䞭に少壮なる英仏孊士の催しになりし䞀䌚あり、垭䞊、䞀友人がハむカラを着け掋服を着くるの利を述ぶる者あり、之より䜙がp125/p126倖遊䞭、高襟党なる文字新聞に珟はれお、少幎孊士を讒謗毀傷するの具ずなり、圌等が殆ど完膚なからんずするや、西園寺䟯は自ら進んで新聞蚘者に察しお、高襟党の銖領なりず称し、少幎孊士に察する攻撃を䞀身に匕受けんずしたりき、思ふに善良なる意矩に斌ける高襟党の銖領ずしおは、䜕人も圌の統治暩を犯さんずするものあらざるべし、故に人或は䟯を以お、英囜のロヌズベリヌ卿に比す、其貎族にしお、平民に同情あり、其品栌の厇高なる、其識芋の秀培なる--以䞋略

文䞭に「䜙が倖遊䞭、高襟党なる文字新聞に珟はれお」ずあるが、実際には竹越の送別䌚よりずっず以前から石川安次郎が新聞玙䞊で䜿っおいたのは䞊蚘のずおりである。しかし逆にこの䞀文は、竹越の送別䌚の新聞蚘事がきっかけずなっお流行したずいう石井研堂の説を裏付ける。

ハむカラ関連の䜜品

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脚泚

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泚釈

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  1. ↑ 今日の毎日新聞ずは別系統。

出兞

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  1. ↑ 米川明圊線 『日本俗語倧蟞兞第3版』 東京堂出版 2006幎 485頁など
  2. 1 2 石川半山 『烏飛兎走録』 北文堂東京 1912幎倧正元幎11月1日発行
  3. 1 2 石井研堂 『明治事物起源』 橋南堂 1908幎明治41幎1月1日発行
  4. ↑ 竹越䞎䞉郎 『萍聚絮散蚘』 開拓瀟東京1903幎明治35幎6月28日発行

関連項目

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