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  ■青のミブロ -新選組編- #12

 
 この表紙の時点で定説への反逆への空気を嗅ぎつけテンションが上がるわけよ。

 
 お互い評価し合いつつもギスギスしてたのが、どこで決壊するのかと思っていたら、最後の一押しが眼鏡っ娘が殺されから!!
 ……納得しかない! せざるを得ない!!!
 いや、どう考えても私情なんだけどね。いや別に眼鏡っ娘だから罪が重いと言いいたいわけじゃなくていや重いけどそこはまぁいいとして!!
 土方さんにしても、自分の中の良心的なものを委ねるところがあって、それを踏み躙られたことへのやるせなさってやつですかぁ!!!! いやほんと言いがかりに近いんだが!!!

 
 それでも瑕疵がないわけじゃあないんだよな。
 まゆへの見回りが疎かになったのは、新選組の隊士が勝手に大吉を拉致ったことへの対応に追われてたから。
 でも大吉が拉致られたのは、御陵衛士がテロリストと内通してる疑いが強かったから。で、実際内通してた。
 そういった意味では、火種を作ったのは御陵衛士側という解釈ができてしまう。そして伊東は超優秀だし、皮肉も人情的な責任感を新選組加入から続く今までの生活で「持つようになってしまった」から、この一連を理解とある種の納得ができてしまう。
 これぞ連環の計!!!

 
 ここで情を出してしまう近藤さん、そーゆーとこ好きですよ!!!
 そしてそれに乗れない伊東、お前もな!!!!

 
 通説では油小路に関わってない土方が、伊東と、真っ向一騎打ち!!!!
 いいぞもっとやれ!!!
 やっぱ最期が闇討ち袋叩きより、こーゆーのでなくちゃ熱くなれねぇってもんよ!!!
 もちろん身も蓋もない槍と数の暴力でも、それはそれで無常感が出て今後の無慈悲で容赦ない戦の変遷を暗示する展開としてありなんだけど。

 
 だからここも史実改変して逃げてくれていいんだよ!!!!
 死んで欲しくないんだよ!!!!
 別にここに来て平助が特に新選組と致命的な意識の決別が起きてるわけじゃないのも、勝手に希望を見出してしまう。
     
 



●キャラクター設定


●《二つ名》名前 生没年

・二つ名
 1人につき1つとは限らないんで、もっとも代表的なものがここに記載される。
 自称、他称様々であり、その認知度合いも千差万別。
 記載されてないキャラにしても、仲間内でのみ通じる渾名のようなものはあるかも知れない。

・フリガナ
 基本的にそのキャラの活動範囲や出身とかで関係性の強い地域の言語で意訳されている。
 他の言語では全然別の異名がついているかも知れない。

・名前
 漢字圏の名前は漢字表記で、それ以外はカタカナ表記が基本。
 かつてヒノワ人の名前を全部カタカナ表記してたのだが、同じ読みで漢字が違うキャラの扱いで物凄く困ったので、改められた。

・生没年
 原則として「歴史書にそう記載されている数字」であり、正確であることを保証するものではない。単なる自称や俗説が便宜上記載されている場合もある。
 また、生死不明の場合は没年が記載されてないわけだが、それを以て生存していることは意味しない。

▼クラス・レベル
 D&D上のクラス・レベルが参考情報として記載されている。
 実際のルールと違い、魔導師10レベルのキャラが結婚して主婦レベル1を取得するために莫大な経験値を求められるようなことはないので、「魔導師10/主婦3」のキャラは「魔導師13」のキャラと同じく「13レベル相当のキャラ」という認識は成立しないことに注意。
 とはいうものの、ソード・ワールドRPGのスキル・システムのように、10レベルの魔導師が「10レベル相当の冒険をした」からといって、その経験値で「武人レベルを一気に5レベルまで取得」なんていうことができるわけでもない。
「魔導師レベルを11にするほどの経験値は求められないが、一瞬で数レベル上がりもしない」ということになるわけだが、この辺は多分にフレーバーの領域なので、高度な柔軟性をもって臨機応変に解釈して欲しい。

▼能力値
 D&D上の能力値が参考情報として記載されている。
 これはあくまで素の能力値+レベル4毎の上昇分のみであり、高レベルのキャラほど実際の有効能力値はさらに上積みされていることがほとんどである。その手段は様々であり、言ってしまえば「特別な成長イベントで能力値アップした」なんてケースだって幾らでもある。
 また、単なるワダツミのうっかりでそれを忘れて「素ではなく有効能力値で記載」してしまったケースもあるのだが、それは適宜修正されていく気がしないでもない。


●アーベル・ロイヒトゥン男爵 705~
 
 貴族5/君主5
 筋力12/敏捷力11/耐久力12/知力16/判断力16/魅力12/PB31

 アーベル・ロイヒトゥンは、ヴィーリオン王国ロイヒトゥン子爵家の嫡男である。竜殺しの英雄として名高い父クレーメンス・ロイヒトゥンから、統治者としての資質を色濃く受け継いだと評されており、慈愛と優しさによって形作られた母オティーリエや妹ノアとは異なり、貴族として必要な決断を躊躇なく下すことのできる性格の持ち主である。

 武勇においても決して侮られるべき人物ではなく、騎士として見れば十分に優秀な部類へ入る。ただし、妹のノアがあまりにも飛び抜けた英器であるため、本人は「張り合うのも馬鹿らしい」と早々に競うことをやめている。己に求められている役割は最強の騎士となることではなく、領地を正しく治める為政者となることであると理解しており、その志に対して妥協するつもりは一切ない。優秀な為政者であることを何よりも優先し、自らへ課したその責務を果たすためならば、情に流されることも、判断を先延ばしにすることも許さない。それゆえに気負い過ぎるきらいはあるものの、現状を総合して見る限り、その強い自負と責任感は概ね良い方向へ作用しているようである。

 明らかに自分以上の天賦の才を与えられたノアに対しても、アーベルが潜在的な脅威を感じることはない。彼の認識において、ノアはどれほど優れた聖騎士であろうとも、しょせんは女である。唯一の男子である自分がロイヒトゥン子爵家を継ぐことは初めから確定しており、ノアが後継者として自らと競う可能性など、そもそも考慮する必要がないのである。
 それだけが理由でもない。アーベルは、ノアが神に愛された類いまれな聖騎士であり、戦場においては自分など遠く及ばぬ英傑であることを認めている。その一方で、時には一部を切り捨て、誰かから恨まれることを承知で非情な決断を下さなければならない統治者としての資質には欠けていると判断していた。優しさと正しさを捨てきれないノアは、領民を守る騎士としてはこの上なく優秀であっても、領地全体を背負う為政者には向かないというのが、アーベルの評価である。
 つまるところ、彼にとってノアとは、自らの統治を支え、そのために働いてくれる極めて優秀な妹に過ぎない。無論、そこに肉親としての情がないわけではなく、妹を大切に思う気持ちも確かに持っている。ただし、何を考える際にも最初に置かれるのは兄としての感情ではなく、為政者としての視点であり、ノアとの関係についてもその優先順位が覆ることはない。

 
 その一方で、すぐ下の妹であるシャルロッテからは、情を排して物事を割り切ろうとする性格をひどく嫌われている。アーベルの側もまた、領民の心情や人と人との繋がりを理由にたびたび異を唱える彼女を、「女の分際で小賢しい」と疎んでいた。つまるところ、この兄妹は互いに相手の性質を好ましく思っておらず、仲が悪い。
 ただし、これはクレーメンスとオティーリエの子育てが失敗したことを意味するものではない。クレーメンスは、英雄譚の主人公として語るに相応しい器を持つ英雄であると同時に、必要とあらば犠牲を覚悟し、旧来の在り方を改めようとした為政者でもあった。ゆえに、兄妹が仲睦まじく、いつまでも幸せに暮らすという普遍的であって大衆の好む絵図を、家庭の理想として盲目的に追い求めてはいなかったのである。子供たちの将来を考える上で、彼が第一に置いたのは、あくまで各々の資質と立場に応じた適材適所であった。
 嫡男アーベルには、情に流されず、領地全体を見渡して決断を下せる正しい為政者となることを求めた。長女シャルロッテには、領民一人ひとりの感情へ寄り添い、それを忘れぬ情深さを持たせようとした。貴族の娘である以上、政略結婚を避けられないことも初めから承知していたが、嫁いだ先で故郷への思いを途切れさせることなく、それでいて情だけに駆られて無分別に突き進むこともない、賢明な女性に育てようとしたのである。
 その結果として、領地全体のためなら一部の犠牲を躊躇なく受け入れるアーベルと、その判断によって傷つく者の心を見過ごせないシャルロッテは、互いを理解し難い存在となった。されど、それぞれが父から求められた役割を身につけた末の対立である以上、単純に仲違いを防げなかった失敗と断じることもできない。むしろ2人が容易に同意し合えないことそのものが、ロイヒトゥン家の判断を一つの価値観へ偏らせぬために、クレーメンスが育てた異なる視点の表れでもあった。
 子供たちへの愛情が何事にも優ってしまうオティーリエには、同じ教育を行うことはできなかった。夫の方針に心から賛同していたわけでもなく、兄妹が互いを疎んじる姿には、母として寂しさを覚えている。それでも、感情に任せて反対してよいものではないことも理解していたため、諸手を挙げて賛成することはできずとも、クレーメンスの決断を妨げることもしなかった。
 そしてオティーリエは、子供たちへあえて異なる役割を負わせ、家庭の調和よりも彼らの将来と領地の行く末を優先しなければならない夫を、冷たい父親だとは考えていない。むしろ、誰よりも子供たちを愛していながら、自ら辛い役目を引き受けていることを理解しているからこそ、その苦しみを少しでも包み込むように、以前にも増して深い愛を注ぎたくなるのであった。

 現在行われている《第2次豊竜戦役》においても、アーベルは、精鋭部隊を率いて戦うノアの後方を支えることこそ自らの役目であると強く自負している。必然的に敵の主力と正面からぶつかるノア隊だけでは、広大な戦域のすべてへ手を回すことはできない。そのためアーベルは、彼女たちの及ばぬ戦線を預かる指揮官として辣腕を振るい、兵の運用から物資の輸送、戦火に巻き込まれた土地の復興に至るまで、戦争を継続する上で欠かすことのできない要となっている。
 無論、父クレーメンスが既に隠居し、息子へすべてを譲ったわけではない。戦争における務めは前線にのみ存在するものではなく、後方兵站や諸侯との外交は、今なお圧倒的な名声と経験を持つクレーメンスが主として担っている。また、竜殺しの英雄たる彼を後方に置くことも、強力な戦力を遊ばせていることには当たらない。クレーメンスは、戦況が決定的に崩れた時に初めて投入されるべき戦略予備であり、その力は、よほどの事態に陥らぬ限り軽々に切ることのできない最後の札なのである。
 その判断には、アーベルだけが知る事情も関わっていた。《豊竜戦役》を共に戦った当時の戦友たちを除けば、クレーメンスとロタールが負った精霊蝕が、今なお癒えていないことを知る者は、アーベルただ1人である。世間から見れば、2人は歳月を経てもなお揺るがぬ竜殺しの英雄であり、必要とあらば往時と変わらぬ力を振るえる存在に見えている。本人たちも決して不調を表へ出さないため、その認識を疑う者はいない。
 されどアーベルは、彼らの力が無尽蔵ではなく、戦場へ投入するたびに、その身へ取り返しのつかない負担を強いる可能性があることを理解している。たとえ戦局を覆し得るほど強力な切り札であっても、それが父と、長年家を支えてきた老臣の命を削るものである以上、安易に頼ることはできない。必要な時には用いねばならず、まだその時でないならば、誰に何を言われようとも温存しなければならない。その重い判断まで含めて背負うことこそ、次代の為政者である自分の務めだと、アーベルは心得ているのである。


●シャルロッテ・キッテル男爵夫人 707~
 
 上流階級者5
 筋力8/敏捷力11/耐久力10/知力13/判断力15/魅力15/PB24

 シャルロッテ・キッテルは、ヴィーリオン王国キッテル男爵家の夫人である。クレーメンス・ロイヒトゥン子爵の長女として生まれ、18歳の時に、同じくビューリンゲン伯爵家に属するキッテル子爵家の嫡男、コンラート・キッテル男爵へ嫁いだ。728年には、夫との間に第1子をもうけている。

 ロイヒトゥン家の兄妹にあって、兄アーベルほど理に偏っておらず、妹ノアほど情に偏ってもいない。あえて表現するならば、シャルロッテは「普通の女性」である。ただし、これは母オティーリエと妹ノアが揃って慈愛の化身じみた人物であるため、それと比較すれば普通に見えるというだけの話であり、客観的に見れば十分に領民思いの女性であった。事実、そのような者となることを望まれ、父クレーメンスによって育てられている。
 兄アーベルが父から統治者としての資質を受け継いだと評される一方で、シャルロッテは母からその美貌を受け継いだと言われている。良くも悪くも感情的であり、人の感情を大切にし、さらにそれを動かすことにも長けた女性である。母や妹のように、ただそこにいるだけで万民を惹きつけ、崇め奉らせるほどの天性の資質を持っているわけではない。それでも他者の心情へ寄り添い、相手と同じ目線に立つことで、「この人となら共に歩んでいける」と思わせることができる。これは母や妹にはない、シャルロッテならではの武器であった。

 
 もっとも、母譲りの豊かな体つきと、自我の強さをそのまま形にしたような華やかな美貌を備えていることも事実である。庶民や凡庸な者であれば、その姿を前にしただけで恐れ多さを覚え、無意識に距離を取ってしまうのも無理からぬことであった。シャルロッテは、相手が抱いたその畏れや引け目まで察した上で、決して隔たりとして残さない。自然な言葉や振る舞いで懐へ入り込み、気がつけば相手の心を自らの掌の上へ載せている。そうして人を手玉に取ることこそ、彼女の本領である。

 貴族の嫁としての役目も立派に果たしている。夫を立てることを心得ており、その権威や面目を損なうような振る舞いはしない。言い替えれば、相手に自らの意思で決断したと思わせたまま、巧みに手綱を握ることが得意なのである。
 つまるところ、シャルロッテもまた、豊かな体つきだけを取り柄とする凡人ではない。その本質を思えば、彼女の世評が主として「美貌の男爵夫人」に留まっていることさえ、本人が意図してそう見せているのではないかという疑いが生じる。自らの知性や人心掌握の才をあえて誇示せず、周囲には、美しいから人に好かれるのだと思わせておく。その方が警戒を招かず、何事も円滑に運ぶと理解しているのではないか――そこまで踏み込んで彼女を見ている者は、ごく僅かに過ぎない。

 
 その一方で、兄アーベルとは性格も価値観も噛み合わず、非常に仲が悪い。割り切りの強い兄をシャルロッテは嫌い、アーベルもまた、自分の判断へ感情の側から異を唱えてくる妹を疎んでいる。これとは対照的に、妹であるノアとの関係は極めて良好であった。人の感情を軽んじず、目の前の者へ寄り添おうとする点で思想的にも重なるため、自然と気が合うのである。

 
 ただ、シャルロッテは必要以上にノアと仲睦まじく振る舞い、それを見せつけることで兄への嫌がらせとしているふしもある。無論、他者の目には、仲の良い姉妹が親しげに過ごしているようにしか映らない。意図を察しているのは、当のアーベルをはじめとする身近な者くらいのものだった。

 ロタールは当初、アーベルとの激しい不和が、政略結婚を通じて他家へ嫁ぐ貴族令嬢の資質として、いかがなものかと危惧していた。されど実際のシャルロッテは、家の利害と個人の感情を混同しておらず、兄を嫌っているからといって、ロイヒトゥン家の立場を損なうような真似はしない。近頃のロタールは、彼女が兄を相手に限って、あれほど感情的に振る舞えるということ自体、関係を断ち切ることのできない兄妹の情の表れなのではなかろうかと、少しばかり考えを改めつつある。

▼マスターズ・コメント
 
 かつてこの地を訪れたとある冒険者がした妄想。


●《古強者(デア・シュタントハフテ)》テオドール 684~
 
 神官戦士9
 筋力11/敏捷力9/耐久力11/知力11/判断力15/魅力12/PB19

 テオドールは、ロイヒトゥン子爵領の領都ハイリグェンツァに置かれた豊穣神教会の司教である。若き日に《豊竜戦役》を迎え、その苛烈な戦いを最後まで生き抜いた歴戦の神官戦士でもある。

 戦役が始まった当時、彼はまだ教会の末端に連なる一介の侍祭に過ぎなかった。されど、ロイヒトゥン子爵領が文字どおり死力を尽くした総力戦において、後方に留まっていられる余裕などあるはずもない。主戦力たるクレーメンスたちだけでは手の回らない第2線、第3線へと投入され、前線の崩壊を防ぎ、傷ついた兵を支え、押し寄せる敵を食い止めるため、懸命に戦い続けた。
 神官戦士は教会の精鋭である。だが精鋭であるがゆえに、任される戦場もまた相応に厳しい。熟練者が倒れれば、その穴を埋めるために、平時ならば到底実戦へ出されない未熟な者まで動員された。そこで生き残った者は、昨日まで先達の背を追っていたにもかかわらず、翌日には後進を率いる側へ回される。平穏な時代には考えられないほどの損害と、悪夢としか呼びようのない戦力の代謝が、絶え間なく繰り返されていた。

 
 テオドールもまた、その極限の中で潜在能力を力任せに引きずり出された者の1人である。ただし、それを華々しい才能の開花として語るのは、いささか実情にそぐわない。求められた働きへ届かなかった者の多くは、その場で命を落としていった。かろうじて力を引き出せた者であっても、なお敵へ及ばず散っていった者が大半である。生き残るために成長を強いられ、成長してなお次の死地へ送られる。その連続を耐え抜いた結果が、現在のテオドールであった。
 本人も、自らがそれなりに優秀な人間であるとは考えている。努力を怠ったつもりもなく、信仰に妥協した覚えもない。恐怖の中でも武器を取り、祈りを捧げ、傷ついた者を支え、その時々に求められた役目へ全力を尽くしたという自負はある。
 それでも、自身の人生を振り返る時、テオドールが口にするのは「運が良かった」という言葉である。これは自らを卑下するための空疎な謙遜ではない。《豊竜戦役》を生き抜いた猛者の多くが、同じ認識を抱いていた。己の力だけでは到底どうにもならない窮地を、1度ならず、2度、3度と経験し、そのたびに偶然としか思えぬ巡り合わせによって生き残ったことを、誰もが痛感していたからである。
 テオドールもまた、自分より優れた先達たちが次々と命を落としていく姿を見続けた。技量に勝り、経験も深く、信仰においても疑う余地のない者が、僅かな判断の違いや一度の不運によって帰らぬ人となった。その中で自分だけが次の機会を与えられ、得た経験を活かし続けることができた以上、生存を純粋な実力の証明だとは考えられなかった。
 だからといって、生き残ったことへ負い目を抱き、卑屈に振る舞うつもりもない。幸運があったことと、その幸運を無駄にせぬだけの努力を重ねたことは、何ら矛盾しないからである。自らが生き延びたのは運に恵まれたからだと本心から考えつつ、その運を掴み続けられた己の働きまで否定はしない。
 テオドールがことさらに幸運を強調するのは、死んだ者たちが自分より劣っていたわけではないと知っているからでもある。その言葉には偽りのない実感があり、同時に、死者の名誉を損なわぬための謙遜も確かに含まれていた。

 末端の侍祭に過ぎなかった少年は、《豊竜戦役》が終結した時には、後方で傷病者の治療に尽力していた司教フーベルトと、聖女オティーリエに次ぐ実力と位階を備えた高司祭となっていた。そこへ至るまで、僅か4年。されど本人にとっては、いつ果てるとも知れぬ、醒めない悪夢のごとき4年であった。
 熟練者が倒れれば、昨日までその背を追っていた者が後を継ぐ。そこで生き延びれば、次にはさらに未熟な者たちを率い、より重い責任を負わされる。そうして得た経験を活かせなかった者は命を落とし、活かすことができた者も、次なる死地を越えられるとは限らない。テオドールの異例ともいうべき成長と昇進は、己の才のみで階梯を駆け上がった結果ではなく、周囲の人材が恐るべき勢いで失われ続けたことの裏返しでもあった。

 戦後、テオドールは荒廃した豊穣神教会の再建に尽力した。しかし戦役によって生じた人材の空白はあまりにも大きく、制度や建物を整えれば埋まるようなものではない。1人の神官を育てるには相応の歳月が必要であり、とりわけ戦場を任せられる神官戦士ともなれば、短期間で数を揃えることなど到底できなかった。失われた1世代を取り戻すには、結局のところ長い時間を費やすほかなかったのである。
 さらに聖女オティーリエがクレーメンスとの結婚によって教会の実務から離れたことで、テオドールは繰り上がるようにして、組織運営の実質的な頂点へ立つことになった。司教フーベルトは健在であったものの、教区全体を統べる彼には彼の務めがある。総司令官が日々の雑務まですべて自ら処理するような組織が成り立つはずもなく、人員の配置、若者の教育、物資の管理、各地の寺院との調整をはじめとする莫大な責任と仕事が、まだ20歳を幾らか過ぎたばかりの青年へとのしかかった。
 フーベルトもまた、司教という地位にある者としては例外的なほど、テオドールの実務を助けた。それでも、大変なものは大変である。戦役を生き抜いたというだけで、教会の運営に必要な知識や経験まで自然に身につくわけではない。テオドールは戦場とは異なる難事を一つずつ覚え、時に失敗し、周囲へ頭を下げながら、壊れかけた組織をどうにか動かし続けた。
 もっとも本人に言わせれば、それでも《豊竜戦役》の苦労と比べれば大したことはなかったという。弱音を吐いても死にはしない。処理しきれない問題を少しばかり先送りにしても、直ちに誰かの命が失われるわけではない。翌日になれば続きを行うことができる。あの4年間を基準とするならば、どれほど仕事が山積みであろうと、実に気楽なものであった。
 そして教会には、明確な未来が残されていた。戦力とは見なされなかったがゆえに、多くの若者や幼い信者たちが生き残っていたのである。否、戦えぬ者たちを後方へ留め、次代として生き残らせることができた。それこそが、命を落とした者たちを含む教会全体が勝ち取った、掛け替えのない戦果であった。
 彼らが育てば、いつか失われた役目を継ぐ者となる。今日より明日、明日より数年後の方が、組織は必ず立ち直っていく。戦役の最中には、どれほど努力しても翌日にはさらに深い窮地が待っていたが、戦後の苦労には先が見えた。耐え続ければ、やがて報われる。その確信があったからこそ、テオドールは膨大な責任の中でも踏み留まり、後には司教としてハイリグェンツァの豊穣神教会を率いるに至ったのである。

 現在進行中の《第2次豊竜戦役》においては、かつての戦役が終わりを迎えようとしていた頃に生まれた長子リーンハルトが、教会を代表する精鋭としてノア・ロイヒトゥンに付き従い、その役目を果たしている。
 その抜擢は、司教の子という血縁によって与えられたものではない。リーンハルト自身の信仰、武技、判断力を正当に評価した結果である。むしろ父の立場を考えれば、親の七光りを疑われぬよう、他の候補者以上に厳しく見定められたであろう。その上で選ばれた以上、彼が教会を代表するに足る神官戦士であることに、疑いを差し挟む余地はなかった。
 かつての戦役がどれほど過酷なものであったかを知る父親として、息子を死地へ送り込むことに心を痛めても不思議ではない。されどテオドールには、そのような躊躇は一切なかった。危険な戦場へ立たせたくないのであれば、初めから神官戦士として育ててはいない。十分な力を与えた末に、危険だからと役目から遠ざけるのであれば、それまでの教育も信仰も欺瞞となる。
 また、自らが生き残った以上、死んでいった者たちが望んだ未来を背負い、それを実現する責任があるとも考えていた。彼らが守り残した子供たちが立派に育ち、次なる危機へ自らの力で立ち向かえるようになること。それこそが、《豊竜戦役》を生き抜いた者に課せられた務めであった。
 その思いから、テオドールは息子へ厳し過ぎるほどの教育を施した。リーンハルトは父の期待へよく応え、見事な成長を果たした。テオドールがその姿へ抱いたものは、自らの教育が実ったことへの満足というより、重い期待を引き受け、ここまで育ってくれた息子への感謝であった。

 
 そしてリーンハルトの抜擢が正式に決まった日の夜、テオドールは妻ドーリスへ、涙ながらにこう謝罪したという。
「息子を死地へ送り出すことに、寂しさよりも誇らしさを感じる僕ですまない……」
 息子を失うことが恐ろしくないわけではない。無事に帰って欲しいと願わぬはずもない。それでも、自らの信仰と技量をもって責務を果たせるほど、リーンハルトが立派な神官戦士へ育ったことが、何よりも誇らしかった。その誇りが別離への寂しさを上回ってしまう自分を、父として、夫として、人情に欠けるのではないかと責めずにはいられなかったのである。


●《慈母(ディー・トレステリン・デア・フィーレン)》ドーリス 687~
 
 聖堂士7
 筋力8/敏捷力9/耐久力10/知力11/判断力14/魅力15/PB18

 ドーリスは、ロイヒトゥン子爵領の領都ハイリグェンツァに置かれた豊穣神教会の高司祭である。若き日に《豊竜戦役》へ参加し、数えきれぬ傷病者を救い、また救いきれなかった者たちの最期を看取ってきた女性でもある。

 戦役が始まった当時、彼女はまだ駆け出しの侍祭に過ぎなかった。されど戦況が激化するにつれ、経験の浅さを理由に守られていられる余裕は失われていった。多くの者たちと同じく、必要とされる働きへ追いつかなければ生き残れない環境の中で、否応なくその力を開花させていったのである。
 ドーリスが幸運だったのは、まだ未熟な者を後方へ置き、経験を積ませるだけの余裕が残されていた時期に、最低限の力量を身につけることができた点であろう。十分に育てられたとは到底言い難い。それでも、何も知らぬまま修羅場へ投げ込まれた者たちと比べれば、救護に必要な技術と判断を学ぶ時間を与えられたことは、決定的な差であった。
 もっとも、後方にいたからといって安穏としていられたわけではない。救護所には傷病兵が絶え間なく運び込まれ、治療と看護には終わりが見えなかった。眠る間も惜しんで傷を洗い、治療を施し、苦痛に耐える者を励まし、それでも助からぬ者の手を取る。そこは直接刃を交える戦場とは異なる形で、人の体力を削り、それ以上に心を摩耗させる、もう一つの最前線であった。
 後年、ドーリスは当時を振り返り、前線との唯一の違いは、突然自分が死ぬようなことが少なかっただけかもしれないと語っている。目の前で命が失われることにも、助けを求める声が途切れないことにも変わりはない。ただ、自分へ向けて刃が振り下ろされることがないという、その一点だけが異なっていた。
 それでも当時の彼女は、自分たちの苦しさをことさらに重く考えようとはしなかったという。どれほど辛くとも、実際に戦っている者たちはもっと苦しいのだから、自分たちは頑張らなければならない。ただそれだけを思い、目の前の傷病者へ手を伸ばし続けた。
 その献身は、華々しい勇気として語られるものではなかった。ドーリス自身も、自らを英雄だとは考えていない。されど、救護所へ運び込まれた者たちにとって、彼女が差し出す手と穏やかな声は、戦場から生還するための最後の希望であった。

 当初、救護活動はハイリグェンツァ市街の教会や聖堂を拠点として行われていた。しかし戦況が激化するにつれ、活動の中心は次第に市外へ設けられた野戦救護所へと移り、その位置も日を追うごとに最前線へ近づいていった。
 安全な場所まで傷病者を後送すれば、それだけ治療の開始が遅れる。その僅かな時間によって失われる命があることは、救護に携わるドーリスたち自身が誰よりもよく理解していた。危険を避けるために距離を取るだけの余裕など、とうになかったのである。
 経験を積んだ者は、より前線に近い救護所や戦闘部隊へ次々と引き抜かれていった。そのたびに残された者たちの負担は増し、補充されるのは、さらに若く、経験の浅い侍祭や信者たちであった。ドーリス自身がまだ成人すら迎えていないのだから、その下へ送られてくる者がどれほど幼かったかは、改めて説明するまでもないだろう。
 もっとも、これは彼女たちの救護所だけに生じた特別な悲劇ではない。同じことがロイヒトゥン子爵領のあらゆる場所で起きていた。熟練者が失われ、昨日まで教わる側だった者が今日には後進を率い、その者もまた明日まで生きているとは限らない。《豊竜戦役》とは、そのような戦いであった。

 いかに切羽詰まっていたとはいえ、教会とて、神霊魔導を扱えるというだけで、まともな戦闘訓練を積んでいない聖堂士を最前線へ投入するような、末期的な運用を望んでいたわけではない。されど、戦いが想定どおりに運ぶのであれば、そもそもこれほどの苦境には陥っていない。
 敵の迂回や突破、後送路の寸断、救護所への襲撃、予想を上回る戦線の後退。大小さまざまな誤算が積み重なるたび、「比較的まし」な後方に控えていたはずの聖堂士たちも、櫛の歯が欠けるように、1人、また1人と還らぬ人になっていった。

 そのような死闘の最中、16歳の誕生日を迎え成人となったドーリスは、テオドールから求婚された。
 2人がそれまで恋人同士であったという事実はない。恋人ではないなりに互いを意識していたのかと問われても、少なくともドーリスには、そのような覚えすらなかったという。戦況が戦況だけに、恋愛感情を育てたり、自分の胸の内を確かめたりする余裕など、とうに失われていた。
 加えて彼女は、それ以前から幾度となく求婚を受けていた。ここまで触れてこなかったが、ドーリスは非常に美しい少女でもあった。聖女オティーリエには徳で及ばぬとしても、容姿だけならばドーリスの方が上ではないか、いやそれは好みの問題に過ぎない――そのような比較が真面目に交わされるほどには、その美貌を知られていたのである。

 
 ドーリス本人にとっては、なんとも下世話で品のない噂であった。オティーリエは尊敬してやまない偉大な先輩であり、自らと並べることさえおこがましい、光り輝く姉のような存在――否、ほとんど天使である。黙って並んで立っていれば、どう見てもドーリスの方が年長の姉に見えたとしても、本人の認識においてはそうなのだから仕方がない。

 
 ともあれ、その美しい少女が、眠る間も惜しんで傷病者のために尽くしているのである。これを見て心を動かされぬ方が、人としてどこか壊れているのではないかと思えるほどであった。まして、翌日の出撃から生きて帰れる保証のない男たちである。最期の思い残しを一つでも減らそうと、駄目で元々の覚悟で、出撃前に次々と求婚してきた。
 当初のドーリスは、死を覚悟した者の言葉を無下にするのも申し訳ないと考え、できる限り丁寧に断ろうとしていた。しかし、そのような気遣いも、彼女に僅かな心の余裕が残されていたからこそ可能だった。やがて情緒が完全に耐えきれなくなると、相手が誰であろうと、
「ごめんなさい!」
 と即答するようになったという。

 そのような経緯を経た上での、テオドールからの求婚である。従来どおりであれば、やはり言下に拒絶されて終わるはずであった。
 だが、激化を続ける戦況は、ドーリスの心境を変えていた。後年になって思い返せば、「追い詰められていたのよね」としか説明できないという。このままでは自分も遠からず命を落とす。その予感が現実味を帯びるにつれ、ならば死ぬ前に子供を残さなければならないという、ほとんど生存本能に近い衝動が働いた――のだと思う、と彼女は語っている。
 テオドールの側も、事情はよく似ていた。ドーリスへ好意を抱いていなかったわけではない。むしろ程度の差こそあれ、彼女へ好意を持たない方がどうかしているとさえ考えていた。しかし、自らの感情をどれほど見つめ直しても、それが真に生涯を誓う愛なのか、それとも死を前にして思い出を残したいだけなのか、確信を持てなかった。
 立場ある者として軽率な真似をすまいと自らを律していたテオドールも、結局は求婚した。その理由を後になって問われれば、彼もまた、
「追い詰められていたんだよ」
 と答えるほかなかったという。

 
 こうして2人は結ばれた。ところが、身ごもれば救護活動へ十分に携われなくなり、ただでさえ人手の足りない周囲へ迷惑をかけるのではないかという、極めて現実的な問題へ思い至ったのは、その翌朝になってからであった。
 後年、ドーリスはこの時のことを、精神的な余裕がないというのは、まさしくこういうことなのだろうと振り返っている。普段の彼女ならば真っ先に考えたはずの懸念が、その夜には思考から完全に抜け落ちていたのである。
 実際、妊娠によって彼女の活動が低調となる時期が生じたことは否定できない。それでもドーリスは、自らと胎内の子へ危険が及び、最悪の場合には流産しかねないことさえ顧みず、可能な限り救護活動へ力を尽くした。己が休むことで救えなくなる者がいるという事実は、彼女にとってあまりにも重かったのである。
 もっとも、2人が結ばれたことは、戦役の重圧によって限界へ近づいていた双方の精神に、極めて良い影響をもたらした。恐怖も責任も消えはしなかったが、互いに生きていることを確かめ、苦しさを分かち合い、何よりもわかりやすく鬱屈を発散する手段を得たことで、その負担は著しく軽減されたのである。
 フーベルト司教は当時の日記に、この件について極めて遠回しな表現を用いながら、多少の支障を差し引いても、2人がそのような関係を得たことは総合的に見て大きな利益をもたらしたと記していた。
 後年、フーベルトの死後にその日記を拝読したテオドールとドーリスは、司教が事情を何もかも察していたことを知り、2人揃って大笑いしたという。


●マルティン・ホルストマン子爵 698~729
 
 貴族5
 筋力10/敏捷力10/耐久力10/知力12/判断力12/魅力14/PB19

 マルティン・ホルストマンは、ヴィーリオン王国ビューリンゲン伯爵家に属するホルストマン子爵家の当主である。平民は貴族のために存在するという、ヴィーリオンの貴族社会にあってはさほど珍しくもない価値観を持ち、その身分秩序を疑うこともない。それゆえ、言動にはどうしても尊大な印象が表れやすいが、同じ価値観を共有する者たちにとっては、己の立場と責務に迷いのない頼もしい主君として映っている。家中のまとまりも、決して悪いものではなかった。

 
 戦となれば、自らも騎士として戦場に立つ。もっとも、その武技はせいぜい人並みと評するべきものである。無論、ここでいう人並みとは、相応の鍛錬を積んだ貴族騎士としての水準を指す。並の兵士であれば圧倒でき、数人を同時に相手取ることすら可能ではあるが、そこから先にある英雄の領域へ踏み込めるほどの才は持たない。
 それでも決して臆病ではなく、必要とあれば陣頭に立って兵を率いることを厭わない。また、愚昧でもないため、奇を衒わず基本に忠実な、堅実な指揮を執ることもできた。ただし、軍事については家中最高の騎士であるオスヴァルト・ラング男爵に一任することを常としている。その方が自らより優れた結果を得られると理解しており、それはマルティン本人にとっても、彼の指揮下で戦う者たちにとっても幸福な選択であった。

 マルティンは自らを凡夫だと思っておらず、当主としての自尊心も強い。しかし、その誇りは、自分より優れた者の存在を認められないような脆いものではなかった。オスヴァルトの武勇と功績に対しては、純粋かつ強い敬意を抱いており、彼を頼り、重用することにも一切の抵抗がない。優れた家臣を正しく用いることもまた、主君の力量であると考えていたのだろう。

 
 同世代の君主であるクレーメンス・ロイヒトゥンに対しても、対抗心や劣等感を抱いてはいない。オスヴァルトへ向けるほどの崇敬ではないにせよ、その資質と功績には相応の敬意を払っている。要するにマルティンは、自らの認識において味方と定めた貴族に対しては、非常に人当たりがよい人物であった。相手が己へ礼を尽くす限り、その高い自尊心が悪い方向へ働くことはなく、身分に相応しい礼儀と友好をもって応じる。

 
 もっとも、それは温和で寛容な性格を意味するものではない。無礼を働いた者に対しては、その無礼に相応するだけの報いを、全力で返そうとする人物でもある。礼には礼を、敬意には厚遇を、侮辱には報復を返す。それが秩序を守る者として当然の振る舞いであり、無礼を看過することは自らと家中の威信を損なう行為だと考えていた。

 マルティンは強い選民思想を持っているが、担ぎ上げる者のいない貴族など、ただ偉ぶっているだけの滑稽なカカシに過ぎないことも理解している。農民は農民として分を弁え、その務めを果たすべきである。だが同時に、彼らの労を相応にねぎらい、働きに報いることもまた、上に立つ貴族の務めであった。身分だけを笠に着て搾取を重ね、領地を疲弊させる者は、残酷である以前に無能であり、貴族として無様な存在だと考えている。
 無論、平民の命と貴族の命が等価であるなどとは、毛ほども思っていない。領民1人1人の人生に心を寄せるような人物でもなく、戸口や人口は、領政を測るための数字として捉えているに過ぎなかった。しかし、その数字の多寡や増減が、自らの統治者としての評価へ直結することは理解している。領民が減り、農地が荒れ、生活が露骨に困窮しているようでは、いかに自らを有能と称したところで、周囲からそのように見られることはない。
 つまるところマルティンにとって、領民の安寧は慈愛の結果ではなく、自らの統治能力を証明するために欠かせない成果なのである。平民を対等な存在とは見なさないが、自らを支える基盤として軽んじることもしない。選ばれた者として上に立つ以上、下の者たちを正しく働かせ、相応に報い、領地を栄えさせてみせる。その成果をもって初めて、貴族は貴族たり得ると考えていた。

 マルティンは領内の視察を精力的に行い、自らの目で所領の状態を確かめることを怠らなかった。しかし、その際に平民と同じ目線へ立ち、親しげに言葉を交わすようなことは決してしない。そもそも領民へ直接声をかけること自体、よほど必要が生じない限りはなかった。
 もっとも、貴族とは元来そのようなものであり、彼の引く一線が特別に際立って厳しいわけではない。領民から気さくで親しみやすい領主と思われることはなかったが、かといって冷淡で、平民を人とも思わぬ差別主義者とまで見なされてもいなかった。領主と領民の間には相応の隔たりがあるものだという認識は、マルティンだけでなく、その支配を受ける者たちにも共有されていたからである。
 ただしマルティンの場合、必要に迫られて平民と直接接する際にも、ことさらに毅然とした態度を崩さない傾向があった。相手を安心させるために声音を和らげたり、身分の差を意識させぬよう砕けて振る舞ったりはしない。労をねぎらう場合であっても、それは同じ立場の者同士が親愛を示すようなものではなく、上に立つ者が下の者の働きを正しく認め、相応に報いるという形を取った。
 一方、相手が貴族であれば、その態度は礼儀正しく、友好的なものとなる。もっとも、これは上位者や同輩にだけ媚び、下位の者へ尊大に振る舞うような浅薄さとは異なっていた。外面だけ気位を高く保ちながら、その内面には卑屈さや品性の下劣さを隠しているといった印象は、彼からはまるで感じられない。相手の身分に応じた正しい距離と礼法を、疑うことなく使い分けているに過ぎなかった。
 されど、貴族に対する友好的な姿と、平民を前にした際の毅然たる振る舞いの双方を目にする者にとっては、その落差が尊大に映ることもあったようである。本人に悪意や侮蔑の感情がなくとも、自らと同格の者には人間らしい親しさを見せながら、領民には決して同じ距離まで近づこうとしない。その態度は、マルティンが身分秩序を単なる制度としてではなく、日々の振る舞いにまで徹底して体現していたことの表れであった。

 マルティンは、自らを文弱の治世者ではなく、あくまで騎士であると認識していた。そして実際、歴史に名を残すほどの英雄ではなかったにせよ、戦場へ立つだけの技量を備え、必要とあれば自ら危険を引き受けるだけの勇気も持っていた。その相応の有能さと、相応の勇敢さこそが、結果として彼の人生を短いものとすることになる。
 729年、竜の勢力の攻撃によって陥落した砦を奪還するため、マルティンは自ら兵を率いて出陣した。その指揮は見事に功を奏し、砦の奪還そのものには成功している。少なくとも、当初の任務を果たすだけの力量が彼にあったことは疑いない。

 
 しかし、その夜、新たな竜の勢力が砦へ到着した。クルセウスの率いる不死の軍団である。奪還戦を終えたばかりの守備隊はその猛攻を受け、マルティンもまた戦場に踏み留まった末、討ち死にした。
 なお、当時オスヴァルト・ラングの手勢は、間近に迫っていたパルタナ大湿原での会戦に備えて温存されていた。家中最強の戦力をより大きな決戦へ残し、当面の砦奪還は当主自らが担うという配置である。結果だけを見ればオスヴァルトの不在がマルティンの死へ繋がったとも言えるが、戦争全体を見据えれば、必ずしも誤った判断であったとは言い切れない。
 マルティン自身も、自らの安全を優先してオスヴァルトの手勢を引き寄せるようなことは望まなかったであろう。平民や兵士は貴族のために存在すると考えていた一方で、その頂点に立つ貴族もまた、必要な時には彼らを率いて危険を引き受けるべきだと認識していた。彼は民と同じ目線に立つ領主ではなかったが、民を戦場へ送り、自らだけが安全な場所に留まるような男でもなかったのである。

 
 マルティンには3人の子がいたが、いずれも女子であった。そのうち長女ハインリーケとの関係は特に良好であり、娘から強い敬愛を寄せられていた。
 父の死によって家督を継いだハインリーケは、未だ年端もいかぬ幼君であった。しかし幼少の頃より座学に秀で、宮廷においても巧みな弁舌と闊達な物言いで知られていたことから、彼女が父の在り方を正しく受け継ぎ、その治世を歪ませることなく継承するであろうと、周囲からは期待されていた。
 マルティンの統治は、慈愛や親しみやすさによって成り立つものではなく、身分秩序への確信と、それぞれの役割に応じた報償と責務によって支えられていた。父を深く敬愛し、その考え方を理解するだけの聡明さを備えたハインリーケであれば、若年であっても既存の秩序を保ち、家中を率いていけると見られたのである。

 
 無論、その評価が純粋にハインリーケ自身の資質だけへ向けられたものかは、定かではない。彼女の背後には、家中最高の英雄であり、マルティンからも絶大な信頼を寄せられていたオスヴァルトがいる。父の治世を継ぐ聡明な長女を、父が重用した最強の忠臣が支えるという構図があまりにも強固であるため、家督継承へ異を挟む余地そのものが存在しなかったと見ることもできた。

▼マスターズ・コメント
 20年前の、TRPG部としては最初のD&D3.5版キャンペーンのプレイで、救援を呼ぶ為の脱出行シナリオ失敗により戦死してしまった人。
 その頃から特に設定が変わっていないのだが、プレイヤー的には預かり知らない情報だらけであろう(笑)
 敵の大群に呑み込まれている赤い巨体は、傭兵団《鉄槌の猟犬》が誇る呪甲装兵であり、その手に持つ戦鎚は後にタービュランスの戦士エクスレイに受け継がれる……ことなく、右から左に売り飛ばされた。装備にこだわりのあるプレイヤーは、見向きもせんかった……。ついでにこの絵にそれが描かれてることに当時のプレイヤーは気付いてくれんかった……トホホ。



●ハインリーケ・ホルストマン子爵 716~
 
 上流階級者2
 筋力6/敏捷力10/耐久力8/知力17/判断力16/魅力16/PB33

 ハインリーケ・ホルストマンは、ヴィーリオン王国ホルストマン子爵家の当主である。先代当主であった父マルティンの急死により、若干13歳にして子爵領を継承した。

 幼い頃から並外れて利発な少女として知られ、ともすれば、その賢さゆえに周囲から心配されるほどであった。大人たちが集う軍議や会談の場へ勝手に姿を現しては、求められてもいないのに的確な意見を思うさま披露し、最後には、
「所詮は童の戯言ですので~」
 と付け加え、いかにも満足げな顔で退室していく。その振る舞いは愛嬌で済むことも多かったが、時と場合を誤れば、相当に危険なものであることも確かだった。
 本人に言わせれば、「ちゃ~んと空気は読んでおりますわ」とのことである。もっとも、これから口にしようとしていた案よりも、さらに整っているように聞こえる意見を幼い少女から先に披露された者にとっては、場の空気など完全に台無しであろう。
 どうやらハインリーケのいう「空気を読む」とは、居合わせた者を不快にさせないことではなく、自分がそう振る舞っても大事には至らないと見切ることを意味しているらしい。多少の面目を潰そうとも、怒りを買おうとも、最終的に深刻な問題へ発展しないのであれば、それでよいという判断である。
 つまるところ彼女は、自らの立場と可愛らしさを十分に理解し、周囲の大人たちが幼い自分へ甘いことまで承知したうえで、わがままを押し通すことそのものを楽しんでいた。ただ可愛がられていることを無邪気に喜ぶ子供の甘えとは、いささか性質が異なる。
 軍議へ同席していたアーベルは、そこにもっと恐ろしい才能の片鱗を見たような気がしたという。自分がどこまで許され、誰がどのように反応し、その甘さをどこまで利用できるかを、ハインリーケは既に遊びの中で測り始めていたのである。もっとも、アーベルはその考えを口には出さず、黙って胸中へ留めている。
 父マルティンもまた、娘の利発さを通り越した切れ味と、その危うさに気づかぬほど愚かではなかった。されど彼は、それを理由に娘の才を押さえつけようとはせず、危うさ以上に、その優秀さが将来もたらすものへ期待を寄せていた。
 ハインリーケの器は、少々賢すぎる危険な少女という程度に収まるものではない。マルティンは、危うさそのものを矯正するより、それを呑み込んでなお余りある大器へ育つことを望んでいたのだろう。
 娘について満足げに語るマルティンの様子を見たクレーメンスも、それが単なる親馬鹿による贔屓目ではないように感じていたという。

 以上のような土壌が整っていたこともあり、ハインリーケは父の急死に際しても、誰かに担ぎ上げられるまま家督を継いだわけではなかった。
 直系の後継者が幼い女子しかいない場合、有力な家臣や母親、あるいは近縁の親族が後見人として実権を握り、幼君を傀儡とする形へ落ち着くのが世の常である。されどハインリーケは、確固たる意志をもって自ら後継者となる道を選び、そのうえでオスヴァルト・ラングを後見人に据えるよう強く主張した。母親を説き伏せ、その体制を成立させたのも彼女自身である。
 世間の目には、家中で抜きん出た武名と地位を持つオスヴァルトが、幼い当主を盾として実権を握ったように映ったかもしれない。だが実際には、幼君たるハインリーケが、自ら選んだ英雄を従えていたことになる。もっとも、外からこの構図を正しく見抜ける者は、ほとんどいなかった。
 とはいえ、ハインリーケには、自らの優秀さを幼さと可憐さの陰へ完全に隠すつもりなど、さらさらなかった。もし才覚を秘して無力な幼君を装うつもりであったなら、幼い頃から大人たちの会談へ割り込み、これ見よがしに的確な意見を披露したりはしない。
 ゆえに、実際にハインリーケと面識を持った者は、よほどの愚か者でない限り、彼女に対する印象を改めざるを得なかった。ただ守られるだけの少女ではなく、己の置かれた立場と周囲の人間を理解したうえで、能動的にそれらを利用している当主なのだと気づかされるのである。

 
 その事実を認めた後、なお良好な関係を築こうとするか、将来の脅威として警戒するかは、それぞれの立場による。ハインリーケもまた、相手が後者へ傾くと予想できるならば、それに応じて自らの態度と見せ方を変えた。
 一方で、彼女を小賢しく、小生意気で、小癪なだけの小娘と侮る相手については、ハインリーケの側から見ても、まともに相手をする価値は乏しい。
 ――とはいえ、その程度の愚か者にさえ、相応の使い道はある。ならば、その者にはその者に相応しい付き合い方をしてあげればよい。
 彼女の考えは、概ねそのようなものであった。侮られたことへ腹を立て、自らの価値を理解させようと躍起になるよりも、相手の誤認をそのまま利用した方が有益であると考えているのである。
 無論、現在のハインリーケは、年齢不相応に聡明ではあっても、さまざまな経験を欠いた少女の域を出てはいない。知識も判断力も、実地で積み重ねた経験までは補ってくれず、想定を誤って失敗することもある。
 しかし、彼女の不遜にも映る振る舞いは、幼く無知であるがゆえに分別を知らぬ子供のものではなかった。己の知性、立場、容姿、年齢のすべてを能動的に活用しようとする、彼女なりの政治である。ゆえに、その技量は実際の場数を踏むほど、目に見えて向上していった。
 普通であれば政治的な痛手となりかねない未熟さゆえの失敗さえ、今ならば「子供のしたこと」として許容される。ハインリーケはその猶予まで計算へ組み込み、失敗する可能性そのものを恐れずに行動していた。幼さを能力の不足として恥じるのではなく、大きな代償を払わずに試行錯誤できる時期として、最大限に活用しているのである。

 ハインリーケは、父マルティンを心から愛し、尊敬していた。それと同時に、自分の方が父よりも優れた資質を備えているという自負も持っている。両者は彼女の中で、何ら矛盾するものではなかった。
 マルティンは、ヴィーリオン貴族として正しく振る舞う、模範的で立派な人物である。しかし、何か突出した美点によって歴史へ名を刻む、英雄的な人物であったとはハインリーケも考えていない。
 それでも父は娘を愛し、その賢しらな振る舞いを疎まず、大切に育ててくれた。危うさを理由に才を押さえつけることなく、より大きく成長する可能性へ期待を寄せてくれた。ハインリーケにとっては、それで十分であり、父を敬愛する理由として何一つ不足はなかった。
 そして彼女は、父が備えていた大きな美点を、自らも身につけようと努めている。すなわち、自分に至らない部分があることを、過剰な心理的負担として抱え込まない心持ちである。
「性能など、個人を評価するための一基準に過ぎませんわ。その程度のこと、優れた人間ならば理解していて当然ではなくって?」
 己より優秀な者を前にしたからといって、自己の価値が失われるわけではない。反対に、自らが誰かより優れているからといって、その人物を愛し、尊敬する理由まで損なわれるわけでもない。ハインリーケにとってそれは、わざわざ葛藤するほど複雑な話ですらなかった。

 
 そのように、人の価値を「性能」だけで測るものではないと考えるハインリーケであるが、彼女が心の底から愛している相手は、クレーメンスの次女ノア・ロイヒトゥンという、あらゆる意味で超一級の性能を備えた人物であった。

 愛している。愛しているのである。

 人を評価する基準として、能力だけを絶対視しないことは大切である。模範とすべき生き方や価値観を持ち、誰かの優劣とは関係なく、その人格や関係性を尊ぶこともまた、人生を歩むうえで大いなる指針となる。その有無は、さまざまな状況において確かな違いとなって表れるであろう。
 ハインリーケ自身、父マルティンへの敬愛をもって、その考えを実践していた。父が自分より優れた資質を持つ英雄でなかったとしても、それは父を愛し、尊敬することと何の関係もない。人間の価値は、単純な性能の高低によって決まるものではないのである。

 ――とはいえ、それはそれとして、実際にハインリーケが心を射止められた相手は、見事なまでの超天才であった。

 正しく、強く、慈悲深く、誰もが自然と仰ぎ見る太陽のような存在。理想として掲げるに足る生き方と価値観を備え、その才覚も人格も、英雄の器と呼ぶほかない領域へ達している。性能を絶対視しないという小賢しい理屈をどれほど心得ていようとも、真に傑出した人物が放つカリスマは、やはり強烈なものなのかもしれない。
 もっとも、これは単なる尊敬や憧憬の話ではない。ノアが優れた人物だから模範として仰いでいる、というだけでもなかった。ハインリーケが抱いているのは、あくまで思い切り個人的な目線からの、明確な恋情である。

 両家は以前から親しく、互いの屋敷へ泊まりに行くこともあるほど、家族ぐるみの付き合いを続けてきた。そのため事情を知らぬ者であれば、親戚や幼馴染に近い年上の少女へ抱く、微笑ましい憧れと受け取るかもしれない。

 だが、まったく違う。

 優しく立派な「お姉様」を慕う、幼い少女の無邪気な思慕ではない。ハインリーケは、自らの感情が何であるかを十分に理解したうえで、ノアという1人の女性を、本気で愛していた。


●エトムント・ビューリンゲン伯爵 694~
 
 貴族1/上流階級者2
 筋力10/敏捷力10/耐久力10/知力12/判断力10/魅力11/PB15

 エトムント・ビューリンゲンは、ヴィーリオン王国ビューリンゲン伯爵家の当主である。若年の頃から取り立てて目覚ましい功績を挙げることもなく、さりとて家名を損なうような失態を犯すこともなく、凡庸なまま成長して順当に当主の座を継承した、良くも悪くも平凡な人物である。

 あえて長所を挙げるならば、温厚な性格であり、争いごとを好まない点であろう。いたずらに他者と競い、権威を振りかざして軋轢を生むような人物ではないため、平穏な時代においては、波風を立てぬ穏やかな君主として相応の評価を受け得る資質ではある。
 もっとも、争いを好まぬことは、有事において容易に決断力の乏しさへ転じる。避けられる争いを避けるのは美徳であっても、避け得ぬ争いを前にしてなお決断を先延ばしにするならば、それは統治者として看過できぬ弱点となる。ましてやビューリンゲン伯爵領は、永久の森と隣接する辺境に位置している。平穏を望むだけで危機を遠ざけられるような土地ではない。
 実際、現在の領内では《第2次豊竜戦役》が継続している。諸侯と領民の命運を左右する戦乱の只中にあって、温厚で凡庸なだけの伯爵が頼もしい存在であるとは、いささか言い難い。平時ならば目立った欠点とならなかった性質が、領国の存亡を懸けた局面では、甚だ心許なく映るのである。

 エトムントのことなかれ主義は、戦や外交に限ったものではなく、権力を巡る争いに対しても同様であった。自ら主導して家中の均衡を組み替えたり、臣下の継承問題へ積極的に介入したりすることを好まず、目立った問題が生じない限りは、既に形を取りつつある結論をそのまま認める傾向が強い。

 
 臣下であるホルストマン子爵家において、先代当主マルティンの戦死に伴い、その長女ハインリーケが家督を継いだ際の対応は、その一例といえる。元来、ヴィーリオンの貴族社会は男を中心として成り立っており、女性が当主となること自体は前例がないわけではないものの、それが年端もいかぬ少女となれば極めて稀である。本来ならば主家が早々に他の有力家臣との縁談を取りまとめ、夫となる者を通じて家中を安定させようとするのが自然であった。
 ところがエトムントは、そうした手立てを講じることもなく、ハインリーケの継承をいともあっさりと認めてしまった。亡き父を敬愛し、幼いながらも学識と弁舌に優れていた彼女ならば、父の治世を正しく受け継ぐであろうという見方は確かにあったし、その背後には家中最高の英雄オスヴァルト・ラングが名代として控えている。ゆえに、あえて波風を立てる理由が乏しかったことも事実である。
 それでも、この決定がハインリーケ本人の器を見抜いたものであったのか、名代となるオスヴァルトへ絶大な信頼を寄せていたためなのか、あるいは単に面倒な権力争いへ関わりたくなかっただけなのかは判然としない。さらには、年若い少女の願いに弱かっただけではないかという、いささか品のない憶測まで囁かれることがある。

 
 何しろエトムントは、ロイヒトゥン家のノアをもいたく気に入っている。彼女の内にある英雄の器を見抜き、その将来を頼もしく思っているのか。それとも、ただ少女に甘いだけなのか。少なくとも当人の振る舞いだけを見ている限り、そのどちらであるとも断じ難いのである。

 なんにせよ、エトムントは徹頭徹尾、自ら進んで事を動かそうとはしない人物である。もっとも、仮に彼が積極的に統制を振るい、諸侯の軍勢を束ねて戦況へ介入する君主であったならば、《第2次豊竜戦役》が好転していたであろうとは、誰にも思われていない。
 その点については、エトムント自身もよく理解していた。己が竜との戦いを指揮するに足る器ではないことを承知しており、ゆえに余計なことはしないと決め込んでいるのである。何しろ、竜を相手に具体的に何をすればよいのかと考えても、彼の頭に浮かぶのは有効な策ではなく、ひたすら恐ろしいという感情ばかりであった。下手に手を出し、敵意を自分の方へ向けられてはたまったものではない。
 家臣たちが自分たちの力でどうにかすると言っているのならば、信じて任せるべきではないか。それこそが主従の信頼というものではないか――おおむねそのような理屈を掲げ、エトムントは軍事介入を拒み続けている。現状へ無責任であろうとすることが、あたかも彼なりの責任感であるかのようですらあった。

 当然、直属の重臣たちからは、伯爵家として介入すべきだとの進言が繰り返されている。ところがエトムントは、それらを頑なに退け続けた。これまで自らの意見を強く押し通すこともなく、周囲へ流される風見鶏のような君主と思われていただけに、戦わないこと、関わらないことに限って見せるこの意固地さは、臣下たちにとっても想定外であった。
 確かに彼の資質と性格を鑑みれば、不介入への固執自体は理解できないものではない。されど、戦況が長引き、周囲の圧力が増してなお揺らがない様子は、普段の優柔不断さとはいささか矛盾しているようにも映る。その理由を知る者は、エトムント本人を除けばほとんどいなかった。

 かつて戦況の報告に訪れたノア・ロイヒトゥンは、伯爵へこう申し上げている。
「ロイヒトゥンが独力で対処しきれないと判断した時には、遠慮なくお頼りいたします。どうか、それまでは臣をお信じください」
 この言葉を受けたエトムントは、ノア本人の意図とは異なる意味を、貴族としてごく常識的に読み取った。他家の軍勢を自領へ招き入れれば、その助力が無償で終わることはない。戦後には、費やした兵力と犠牲を根拠として、相応の発言権や権益を認める必要が生じる。ロイヒトゥン家が疲弊している現状を、勢力を伸ばす好機と見ている者が、自らの家臣の中にもいることくらいは、エトムントにも理解できていた。
 ゆえに彼は、ノアの言葉を、正式な救援要請を出すまでは軍を入れず、ロイヒトゥン家の主導権を尊重して欲しいという婉曲な要請として受け取った。これはまさしく、ノアを特使として送り出したクレーメンスとアーベルが、言外に伝えようとした真意である。エトムントは、2人の政治的な意図を正しく汲み取ったことになる。
 そして、その理屈は彼にとって非常に都合のよいものでもあった。ノアの願いを聞き入れてやりたいという気持ちはもとより強かったが、単に彼女へ甘い顔をしただけでは、伯爵としての裁定に私情を持ち込んだと見られかねない。ところが、他家の領権を尊重し、不必要な介入によって戦後の軋轢を生じさせないためという、十分に納得できる理由が示された。これならば遠慮なくノアの望みを叶え、彼女に良い顔をすることができる。
 こうしてエトムントは、自らの判断として軍事介入を控え、資金と物資の援助だけに留めることを決めた。その決断について、「ノアがそう言ったから」などと彼女へ責任を転嫁するつもりもない。ノアの要請を認め、不介入を選択したのはあくまで伯爵たる自分であり、その結果もまた自らが負うべきものだと考えている。この点に限れば、彼にも為政者としての最低限の品位は備わっていた。
 もっとも、当のノアには、そのような政治的な含みなど毛ほどもなかった。彼女は本当に、他領を巻き込むことで、そちらの兵士や領民にまで被害を広げたくないと考えていただけである。ロイヒトゥンだけで背負えるうちは、自分たちだけで耐え抜こうという悲痛な覚悟を、何の裏もなくそのまま言葉にしていた。
 クレーメンスとアーベルは、その純粋な本心が、貴族であるエトムントには政治的な牽制として受け取られることを承知していた。さらに、エトムントがノアへひどく甘く、彼女の願いを叶えるための正当な理由さえ得られれば、喜んで不介入を選ぶことまで見越していたのである。ノアへ嘘をつかせることなく、本人の善意だけを語らせ、それによって必要な外交上の成果を得る。なかなかに狡猾な人選であった。
 かくして、ノアは他領の者を危険へ巻き込みたくない一心で訴え、エトムントはロイヒトゥン家が戦後の発言権を守ろうとしているものと理解し、クレーメンスとアーベルはその誤解こそを期待して彼女を送り出した。使者本人と受け手の胸中は見事にすれ違っているが、外交上の意思疎通と望まれる結論だけは、何一つ違えることなく噛み合っていた。
     
       
  ■WEB拍手

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長くて邪魔だって人もそこに答えが!
  1. やっぱりプロの動きって素人から見たら理解できない。ぷよぷよの優勝選手の動画見てても、ここから全部消えてくのかって感じで逆転したって感想。対ありでしたも、お互いに動かずにしゃがんだりキックしてるみたいな場面がありましたが、根本的にトップオブトップのプロ同士の戦いって解説が無ければ、どうしてこういう動きになるのかとか、この動きがどう繋がったのかとか分からない。傍目に見てたら、何かいきなり動いて決着ついたみたいになる。
    俺は野球の試合に対する「今日の試合は覇気がなかった」「優勝を狙えるチームじゃないのがよくわかる試合」「勝てるチームならこうはしない」みたいなコメントが出てるのに対し「でもそんなチームが首位のチームに3割は勝つしなぁ」と思いつつ「試合を観てても特に違いがわからん!!」となります(笑)
  2. 原作無視で顰蹙アニメ、みたいなことを映画で再体験。いや、八つ墓村、もうちょっとこう。ホラーとしてもなんかあれだし、少なくともあれは原作じゃなくて原案だよなぁ。無理に現代に近い時代設定にしなくてよかったろうに。電信柱が映ってしまうのを、なかったことにするのが困難だったのかなぁ。
    開き直ってゴッド八つ墓村にしないと!!
  3. >18 エスカレーションにはお世話になりました。
    拙者の愚息も。
  4. 50.>ブチ切れ令嬢の何が糞かっていえば、知恵者完璧令嬢気取りどころか実際自分の婚約者の王子ごとき更生させるも高みに導くも容易く出来るだけの才もチートも山盛り持ってるくせにやってた事と言えば上から目線で皮肉言う程度でまともに相手にもしてこなかった主人公サマも所詮同じ糞溜め国家の自己満糞袋って話で。むしろ主人公の方こそざまぁ展開されろよとしか…後々そうなるんだけど。主人公が拾ってきたさすママ担当の娘が主人公のやってきたツケ背負わされて主人公が娘かわいそうって嘆くだけの主人公ノーダメざまぁ展開だけど!
    主人公に好感が持てない作品は辛いのである!!!
  5. >51 業界ではgoogleはOpenAIが経営破綻したら買収するつもりでいるからAI開発に金かけてないとの噂です。
    先頭を突っ走ってもその遥かに低いコストで他のAIが半年後に追いついてくるの、すげーレースだなと思ってる。
  6. 30>装備更新での見た目変更が売りのMMORPGのFF14では序盤のクエストではいかにも駆け出し冒険者な見た目な上に何故か変な色に染められた装備ばかり手に入るので、シナリオ進行で手に入る装備に順当に更新していくと冒険者として才能を認められて国のお偉いさんに謁見するタイミングで丁度不審者感MAXの全身クソダサ装備になってるという・・・(笑
    傾いてんねぇ!!
  7. 17 InetPubフォルダ > WindowsのWebサーバーほかを司る IIS (Internet Information Services)を入れない限りできないフォルダなんですが、どうもWindowsの特定パッチを当てた時にできてしまうみたいですね。IISを入れてないのにできてしまうのはさすがにモヤモヤします。 URL
    だそうです!(トス
  8. 31>実はその後のEXから格段にド派手になったアカシックバスターを放つサイバスターにより感動したのは内緒の話。ライディーンの後ろでエッジの甘い真ゲッター1が飛んでいるのも味が有る。
    昔のアカシックバスターは「原作がない」ことで、作品によってアニメーションぜんぜん違うから、結局どんな武器なんだったよな(笑)
  9. >2 トップバリュはみんな太いんですよね…。細めのうどん食ってる気分にしかならない。とはいえ味とか触感はとくに問題なかったので、多分いけると思いたい。というか、トップバリュ品をあまり不味いと思ったことがないんですよね…。あ、ミートパスタのソースはマ・マーとかの方が美味しかったです。
    俺も不味い(食えたもんじゃない)とは思ってないよ! 美味しいとも思ってないけど。
  10. >4 そんな人には、初代トルネコの裏ダンジョン! 慣れれば7~8割がたクリア出来るうえ、持ち込み不可だから先にも後にも引きずらない! 数時間でクリア可能という日帰りOKっぷり! 未だにライフワークとしてやってる人がいるほどです。まだ敵もアイテムも弱いから、難易度が低いうえにクリアも安定するんですよね。ちなみに50階とか99階も堅実にやれば高確率でクリア可能ですが、単に作業量が増えるだけなので30階がオススメ。
    俺は強さを積み重ねるのが結局好きなんだよなぁ(笑)
  11. >27 ひとまず問題なさそうだからいいじゃん! で皆どんどん進めちゃうからな…。
    まぁ、キリがない話でもあるはあるが
  12. a. >28 どうも昔から、この手の意見に同意というか同調できないんですよね…。確率的にもまず当たらないし、妄想はお金払わなくても出来るし、初回か少なくとも数回目には「どうせ当たらないし妄想も捗らなくなってきた」ってなりません…?
    b. あ、でもTCGなら別に分かるな。宝くじと何が違うんだろう。
    「目当てのカードが出なくても、カードは残る」からかな(笑)
  13. >38 そもそも原作ならーとか言われたって、原作からして「そうはならんやろ」なのでどうしようもない!
    好意的解釈で他人を説得するのはよくない!!!
  14. >51 納刀状態からでも素早く戦えるようにするための技術で、先に抜刀できるなら抜いといた方が当然強いですみたいな? まぁあえて納刀しておいて油断を誘うというか、敵の想定できない動きをするってのはあったようですが。
    セクシーコマンドー!!!
  15. 44>アサルトサヴァイヴでは機体にS~Dのランク(ランクが低い機体でミッションをクリアすると獲得資金にボーナス、同ランクでも先の時代の機体の方が基本強い)が設定されているのですが、キャトルはAランク。エゥーゴで言うとZZやZと同格で、HPや実弾防御に限れば上というタフネスと、割と範囲も威力も高いメイン武器「汚物は消毒だ~!」。
    Aランクて(笑) オーバーテクノロジーの発掘兵器かよ!
  16. >59 変なのは認めるけどそこはまぁ余り気にせず楽しんでくれ、ならいいんですけどね。何故か頑なに変じゃないことにしたがる。
    挙句に「作中描写を真に受けるな。設定は問題ないんだ」とかだし(笑)
  17. >74 まず今の人類のままじゃディストピアしないと無理だから、実現したとしてもそれは今の人類から見たら「こいつら本当に人類なのか?」みたいになってるだろうなぁ…。
    そうそう、そんな感じになるよね。
  18. そういや日本もマラリア発生地だったのが、何故か消えましたよね。確か平清盛だったか、水に入れたら沸騰したみたいな話があったはずですがマラリアだろうと。少なくとも沖縄は太平洋戦争までは発生してたのに、戦後は消えた。まさかDDTのおかげだったり。
    ありがとう天龍源一郎!!!
  19. そんな祥子ちゃんもバンドリちゃんでは品位がどっか行っちゃったキャラに・・・。そりゃあのムジカ本編の後でハロハピは居心地良いだろーよ!
    求人広告に取り憑かれちまったんだ……!!
  20. 甘寧様、無茶苦茶突き抜けた陽キャじゃないですか。引きニートにとっては恐ろしい存在だ、引きこもりすら許して貰えねぇ(笑)
    「ニートは病気」と断言されてしまう社会!!
  21. 12>ガルパンついでにまだやってたら見ようかと思ったけど、そういうことならやめとくかぁ、犬は可愛がらなくちゃ
    別に最初から敵の犬とかが死ぬのはいいんだが、「人間に関わったことで辛い目に遭うペット」全般が辛いんだよなぁ。
  22. サンダー3、設定は面白いんだけど、どうにも展開がもっさりして時間稼ぎしてるふうにしか見えない場面が多いのと、現実世界(風)の人たちの戦闘シーンにリアリティが薄い (アサルトライフルを数十秒フルオートしたり) のでどう捉えたら良いのかわからない。あれは原作通りなんだろうか?
    最初だけ面白くて、途中からの展開がアホらしい上に進みが遅くて、原作脱落した。
  23. タイムズで免許証情報が盛大に漏れましたが、これ該当するなら信用情報センターに申し出た方がいいって話です。なりすましで知らない間に不正利用される可能性があるので。本人確認を申し出ておけば、クレカやローンの申し込みがあった際に通知が来るらしいので。
    免許がなくて助かったぜ!!!
  24. >77 映像化したのが全て正しいとしても、サンダーボルトとか、ジオリジンとか、劇場版Zとか、ジークアクスとか、パラレルが増えたので個人的にはもう訳がわからんのですわ。「エンタメとして面白ければそれでええやん」と思いつつ、面倒オタクで設定厨な自分もいまして(笑)
    少なくともサンダーボルト、オリジン、ジークアクスはパラレルなのが明白なので、そんなややこしいとは思ってないなー(笑) たまに意地悪なのかなんなのか、真顔で「映像化が正史ならサンダーボルトやオリジンも正史なんですよねぇ?」とか言われて「は? 本気でそう思ってるの?」となることはあるが。
  25. なんか、この会社のマークが黒の騎士団に見えてしょうがない(笑) URL
    確かに見える(笑)
  26. >11 重騎士で一番不満なのは「あのスカート長でパンツが見えないとかありえないだろう!!」ですね。
    パンツくらい見せろや!!!
  27. クラウザーさん> オシャレ四天王の人が失敗してもいいよ、と言っておいて「お遊戯的な事は外でやってくんない」は当時読んでてヒドいと思ったけど、ネットの考察で「根岸の歌と演奏がプロのレベルだからこそ、こいつ下手なんじゃなくて舐めてるんだなと怒らせた」とあって納得した。根岸はネガティヴな激情を叩きつける音楽が向いてて、ポジティブな音楽は既存の曲を切り張りしたような浅いモノになっちゃうんだろうな。人間が小さいからポジティブな感情や記憶が少ない故に。
    あれって個人的にはファンの好意的解釈の範疇だと思ってんだよなぁ(笑)
  28. ゆうえんち>刃牙の前座その1でしかなかった龍金剛がクソ強くて素敵。
    色々出てきて面白いね(笑)
  29. >「変だよね」「変だけどしょうがないね」のはずが「変じゃないですよ! 納得してください!」と…こんなやり取りに対して、『不徳のギルド』という狩猟エロコメディーの主人公が一つの答えをだしてたりします。…作中で自分のパーティーメンバーを罠にはめて辛い目に合わせた別冒険者一味に主人公がキレて、主人公を舐めていた相手の三人組を一人ずつぶちのめしていき最後のリーダーもボコボコにした際に言ったのが『「強いスキルが使える」とか「多くのスキルを覚えてる」とか、目的は「相手の命を絶つ事」ただ一つなのにお前らは過程の派手さばかりを強さの指標にして盛り上がる。ナイフ一本小石1つが命を奪う可能性に目を向けない、だからお前らは負けるんだ』と。ゴブリンが『男は殺す、女は犯す』の為なら不意打ち闇討ち騙し討ちなんでもござれな危険性よりスペック的な強さで雑魚だ雑魚じゃない言い合ってもそもそもの論点がどんどんずれてくんで解決しないのでは。まぁ『冒険者は常に常在戦場の心持ちであれ』で話が終わってしまいますが(ぉ by 仲田真琴
    いやまぁ、そもそも「俺が書いた日本語読めてますか?」ってレベルの人が突っかかってきてるのが大半で、「そういう意味で言ってないですよ。こうですよ」と返事すると、さらに論点ずらして怖い人だらけなんで、答えもへったくれもないのよ(笑)
  30. >19 自分は「フーダニット(誰がやったのか?)」は分かっても「ハウダニット(どのように犯行を行ったか?)」と「ホワイダニット(なぜ犯行に及んだか?)」は分かってないんだから『刑事コロンボ』のような『倒叙型ミステリ』っぽくプレイするのもありなんじゃない?と思いました。(笑)
    それはたしかに、動機とかまでは知れ渡ってないか
  31. 60>周年とかでもないし謎です。多分アニメ無印を元にキャラを当てはめているのですが、基本的に鷹と評される翼がブレードライガーなのはミスマッチ感が。不死鳥にもたまに例えられるから、ライガーゼロフェニックスなら合うのに。日向、シュナイダー、ミューラーはいい感じ。
    シュナイダーはライガーゼロシュナイダーじゃないのよな(笑)
  32. 46>最終話の1話前をまるごと説明回にして明かされた「ダンクーガノヴァは実は遺伝子バンクでAIを成長させて宇宙に旅立たせる予定だった」的な設定がゴーショーグンのビムラーっぽいなと思ってはいたのですがそんな裏事情が。
    急にまとめに入ったのか(笑)>まるごと
  33. 幼い頃ゴライオンの超合金見て、作中ではほぼ同じだったはずのブラックライオンと他メカのサイズの違いにがっかりした思い出
    ブライシンクロンしないと!
  34. ザンスカール帝国のMSも艦船も強いよね。そしてタイヤ、お前は反則だ(笑) URL
    簡単に戦艦のビームシールドを貫通するんじゃないよ、V2バスター!
  35. 毎年足がしもやけになるんですが、ビタミンe以外に飲んだらマシになったみたいなサプリないですかね。ヘスペリジンが良いって話がありますけど、飲んだ人に聞いてみたいところ。医者に行けばと思うでしょうが、処方されるのもビタミンeしかないんですよね。その他の薬はしもやけに適用が無い。
    しもやけ、なったことないなー(家からあまり出ないからである
  36. 甘寧恵和> いいおっぱいと太ももだなあ、なんか名前が見た事あるような気がするけど気のせいだよなあと思ってたら最後にまさかの一番乗りかっ。 神寵者なら三国志の武将ばりな活躍が出来るという事なのか。 レス不要
    高レベルキャラなら、文字通り一騎当千や万夫不当の戦闘力を発揮する世界である!!
  37. AIでセキュリティホールが探しやすくなると言われてましたが、そこまで高度なAIでなくとも放置されてるセキュリティホールを探すのは簡単にできちゃう。あとは片っ端からというわけで、セキュリティが弱い企業はいずれやられると見た方がよさそう。防御側が攻撃に追いついてないのが現状みたいですね。
    常にAIで塞いでいかないと……!
  38. 実は現代戦でも要塞線は有効。マジでと思いますが、ナゴルノカラバフでも東部の要塞線での防御は成功してて、南部の回廊地形から攻められて敗北。ウクライナの南部反攻作戦も広大な地雷原と陣地に阻まれたので、制空権が確保されない状況では有効なんですね。あと何よりも地雷が非常に防御として優秀で、NHKの兵士が撮影した映像のドキュメンタリー番組でも地雷に攻撃が阻まれたと言ってました。
    迂回する戦力がなきゃ、そりゃーそうよ。
  39. 男の夢ではあるけど「死んだ後どうするの?」と聞かれると答えに窮するヤツだな URL
    俺のTRPGミニチュアコレクションは売れば500万は超えるから、葬式代にしてくれ……!!
  40. 30年前はこれが本当に空を飛んでたと思うと凄いな URL
    B-52「わかる」
  41. >物理法則はどうなってんだ むしろ物理法則の達人!
    無駄のない動き!
  42. 関西のアニメ放送あるある。一期やるのに二期やらない(笑)。いや、笑い事じゃないが。一期やるなら二期もやれよ。1クール遅れでもいいから。あと放送無かったアニメが何クールか遅れたり、逆に二期やるからって一期放送して二期放送みたいなパターンも。ただ何で今になって放送みたいなのもあって、今さらアポカリプスホテルの放送が始まります。しかも再ってなってますが、関西じゃやってないのに何故。これ関西在住なら、めちゃくちゃ分かるネタだと思います。まあ、そう言ったところで全く見るペースが追いつかなくて、去年のアニメを今さら見たりしてます。
    まぁ今の若者は配信で観るしのぅ。実況で楽しむ勢は「テレビでの放送時間」が大事だが。
  43. 黒部ダム、まるで地下要塞みたいじゃないか(笑) URL
    行ってみたいけど大変すぎるんだよなぁ。
  44. コスプレイヤーに衣装送って、お礼の画像を貰ったことがあります。男のコスプレイヤーですが。いわゆるコスプレ女装男子。昔は東方同人誌描いてる作家はいつのまにか女装しだすし、男×男でオフパコするみたいな話がありましたが、今はどうなんでしょうね。
    このまえあったオタクな会合で、美人2人がいるなぁと思ったらどっちも男だった。
  45. 甘寧恵和、鉄球を振り回しながら梯子を登る姿をイメージしたら、しっかりイラストになってて思わず吹き出しました。しかし、あれを実際に実行するとしたらどのくらい筋力と体幹が必要になるんだろう? by 83
    室伏より必要だろうな!
  46. リリース直後にジークアクスで死んだキャラが放送後に実装される事から死後の世界扱いされてたGジェネエターナルですが、1.5周年で追加されたVガンのシナリオでもそのステージで死んだキャラが続々とスカウトパイロットとして登録されるもんだからヴァルハラっぷりがますます顕著に(笑
    最近TLがVガンなのはそのせいか!
  47. 31>第四次のダンクーガと言えばよく話題にされるのがエゥーゴに送られることですが、適した運用が大分違うから一概にコンバトラー>>ダンクーガにはならんよなぁとずっと思っている。ダンクーガは開幕気合連発による瞬発力でMSやHMをザクザク切り捨て、HPの高い雑魚~準ボス位の奴を熱血幸運断空砲で撃ち落としつつ補給で下がった気力を自力回復するユニットで、コンバトラーは超電磁ヨーヨーやビッグブラスト等の弾数が少ないが威力はそこそこの武器で弱った敵を倒して気力を溜めつつ高火力を2~3発撃つのに全てを賭けるユニット。激励や補給ユニットが揃えばその限りではないし最終的な精神コマンドラインナップはコンバトラーの方が良いけどそれはもう終盤だし。
    武器の個別改造時代のコンバトラーって辛いよな(笑)
  48. >51 確かにGeminiの答えにツッコミを入れるとあっさりと手の平を返すイメージありますね(笑) チャッピーはツッコんでも必死に抵抗しますけど
    使うたびにトンチキなこといいがちで困る(笑)
  49. 宇崎ちゃん、綺麗に終わったと思ったら、「第1部完」でした。まだ続くのかよ(笑) レス不要
    わざとこのコメント送ってるの? レス不要にすればセーフだろとか思ってるの? 知らなかっただけ?
  50. >50 劉禅 暗君の代表みたいに言われる人だけど実際どうなんでしょうね。孔明居なくなった後もしばらくは国保ってるし、そこまでダメにも思えないんだけど。まぁ、三国志演義の劉禅はバカ殿でしたな(笑)
    「劉禅より無能はたくさんいるけど、それはそれとして劉禅は無能」と思ってるし、当時の価値観でクズだが現代人の価値観だとそう見えない、ってのを切り離せない人が「有能」と言ってる印象はある。「戦争を避けて平和的に解決したの偉い」みたいなのは、大義や伝統になんの価値も認めてない現代の価値観なのよな。
  51. 55>実写映画版の根岸、普通にしているのに殴りたくなるくらい気色悪い(称賛してます)のに、いざ酷い目に逢うと可哀そうに感じてしまう絶妙な塩梅を演じ切る松山ケンイチが凄い。原作は後半にもなると酷い目に逢っても「まあこいつはクソゴミ以下のゲロカス野郎だしな…」と特に心が動かされることは無かったのに。
    あーいうのがあるから実写版なんて皆クソみたいな評価にはなれんのよなぁ。
  52. 統制国家だ! まずは現人神様ですが、確信犯の怪物ですねぇ。何が怖いって、その手のにありがちな裏とか打算とかがなくマジモンの善意の塊がぶつかってくるというところでありまして。一見正しく、反論も反対もしづらい理屈というのは浸透にはうってつけなんですよね。人の身でそれをやったところで矛盾や腐敗と切り離せないものなのですが、これが上位存在だと話が違う。現実には神も仏も存在しないがゆえにそれらを奉る文言や理屈は空虚でしかないのですが、ハッキリと上位存在が鎮座するファンタジー世界にあっては説得力と言うか確実な影響力がある……これが、強い。上位存在がケツモチする以上その権限と責任において信徒を導く上に明確なご利益や見返りがあるのですから、多くのファンタジー世界における宗教組織は健全に運営されるわけなんですよね……人類に敵対的な邪神やらがトップでもない限りは。しかし、ガチの現人神よりも魅力で勝る天秤の某アイドル剣士はなんなんでしょうか。
    むしろ、客観的に見ても悪いこととは言い切れないので「確信犯」ですらないという。あと今日の更新でも説明されてるけど、あのパラメータは素体なので、実行能力値とは異なることが多々ある。半神ボーナスとかそーいうのも当然ある。
  53. で、靖世教……ちょっと不自由さはあるけど、びっくりするほどユートピア! そもそもユートピアって、ディストピアの一側面ですからね。そこで暮らす人々が幸せそうに見えるか不幸せそうに見えるかの違いで、統制・管理社会なのは同じという。他にも宗教国家はあるわけですが、それでも人の世の理や神の御心というものが優先されるものと違い、ここではただ個人の理念や情動が最優先される社会形態をとる。これも国家指導者が人の身にあらざる存在であれば、その掲げる理念がどれほどアレであろうともまかり通ってしまう「健全な独裁者」の理屈ですね。しかもこの理想的な独裁者、現実であれば暗殺されるかクーデター起こされるか過労死するかの末路しかないのですが、神たる身ではそれすらないときています。そりゃ周辺国にしてみればたまったもんじゃないですよ、浸透力のヤバい国是を掲げたやべぇ連中が非難も否定もしづらいやり方で文化侵略してくるんですから。本気で弱者を掬い上げる健全な統制国家というのは、大佐が常々語られていたデスティニープランの是非に対する一つの答えと受け取りましたね。いみじくもディランダル議長が自身の婚姻問題で壊れたように、この国是で人生を破壊された者もまた存在する……NTRは本当に脳を破壊するんだ! 漁夫の利さんは恐怖でしょうね、職場から上がってくる情報でアイツまだ死んでねぇって誰よりも理解させられるの。
    生きるか死ぬかの絶滅戦争している世界なので、人々が求める「人並みの生活」のラインが現代日本と違うからな! 後の世で語られる「南北冷戦」はこの国から始まったのである!!!(なのか
  54. 22> 序盤で押し込めないままずるずると行っちゃって、連邦にジムが出てきた瞬間「終わった・・・」ってなるやつだ! レス不要
    デプロック強すぎんだよ! 対空用という設定を踏まえてザクキャノン投入しても辛い!!!
  55. しゃ!阪神リーグ優勝!!球団初の2連覇!! by コウ・マサキ
    4年で3回優勝はマジで黄金期だな
  56. 30>FCで出てた甲竜伝説ヴィルガスト外伝、アクションRPGですが所謂最終装備を手に入れるとアクション画面もステータス画面も最終装備の見た目に変更されてテンション上がりました。
    ガチャガチャの方の楽しみ方の醍醐味だもんな!
  57. 何で弱かった阪神が強くなったか。悪いタニマチと切れたから説。どういうことかというと、阪神ファンの金持ちが選手を飲みに誘うし、選手も行く。それがコロナ禍で切れたから、練習に集中するようになった。与太話の類ではありますが、有り得なくはないですよね。今度は33点取って勝てますよ。逆に中日が今は死ぬほど弱いんでしたっけ。
    阪神ってコロナ禍前の7年間でもAクラス5回だから、別に弱くないと思ってたよ(笑)
  58. >《春暉神女》甘寧 恵和 人類側陣営で裁獄神より反りが合わなさそうな手合いが出てくるとは。奥が深いな、フローラント。彼女は善良なんでしょう。ええ、掛け値なしに。普通だったら「仕方ない」と受け入れてしまうであろう(自分主観の)バッドエンドに中指おっ立てて(自分主観の)ハッピーエンドぶち込まん、社会のルールや他人の思惑なんぞ知らんてのは自分ルール万歳寄りな人間としてやることですけれど、たまに自分の都合で人の気持ち無視するからこそ、他人が何に幸せを感じて何を不幸に思うかを他人が捻じ曲げちゃダメでしょ。人は自分の意志で地獄に落ちる自由があるんですよ。当然、周りの人が理由の如何を問わずにそれをとどめて翻意させる自由もあります。要するに何が言いたいかと言うと、「神様の代行者かなんか知らんが、人の決めたことに口出ししてんじゃねえよ。個人の主張ならともかく、社会のルールにしてんじゃねえよ」ってことなんですよね、社会が無限の多様性を持って運営ができない以上、存在することすら否定しないといけないことはそりゃありますけど、それを決めるのはどれだけ俯瞰的で人知を超えた高みに持てど単一で全てを見据えることからは程遠い単一の視点ではなく、どれだけ不完全でも可能な限り多角的な視点じゃないといけないんですよ。「要するに」からは理論ではなく、個人的な信仰と言ってもいい「こうであってほしい」なんで多分首をかしげる人の方が多いでしょうし、「結局彼女と反りが合わない理由って『てめえが気に入らねえ』ってこと?」って聞かれればイエス、となるので、多分論戦したら間違いなくボロ負けするでしょうけれど、知ったことですか
    まぁ、裁獄神も鎖王神も、属性的には「秩序にして悪」なので(笑) もちろん属性はこの世界の人類圏における多数派からの主観的なラベリングでしかないわけだけど。
  59. >靖世教 正直、教祖ほど嫌悪感は覚えませんでした。信仰を捨てられないのが人間なのにそれを否定してるのが致命的だと前々から思っていた共産主義が神を戴いた、その行く末が気になる、というのもありますけれど、信徒が自分の意志で受け入れている以上、それ以上口出しするものでもないと思えるからでしょうね。現代日本人の感覚だと部分部分カルトチックですけれど、多分、今より宗教が人生にしっかり食い込んでた時代からすると「ちょっと宗教に軸足を置き過ぎかな」くらいでしょうし。身分差がある事が前提の社会で(教祖以外は)万人平等、権限の大小は有れど人の価値に差異はない、と言いう考えが受け入れ難いから危険視されてますし、実際に他の国に飛び火したら何が起こるか分からないんで警戒されてますけれど。ちなみに一番カルトっぽく見える「聖算」に関しては……人に負債を押し付けることを賢さだとドヤるタワケの後始末ばっかりしてきた人間としては、個人的にはそこまでせんでもとは思いますが、制度を変えるくらい賛同する割合が増えるならまぁ、すればいいんじゃない、と消極的な肯定です。まぁ、自分のケツも拭けない阿呆からもう少し取り立てをする方法はあってもいいかもしれないですからね。そんな国はおさらばしますが。デュランダル議長(?)と歓談してますけれど、人をもって生まれた能力でパズルのピースのように配置するという点では似てるような気もしますけど、上手く言語化できませんけれどなんかこの二人は最終的に決別しそうな気がするんですけれど、そうでもないんでしょうか
    この世界は紀元前から神権政治やってたのが人類の文明なんで、神に依存しまくるのはそんな奇異じゃなくて、階級意識の方だけが問題視されてる感じ。
  60. 21>ゴールドスモーとシルバースモー、フラットとハイヒール、ゴッゾーとゴドウィンなど一つモデルを作れば使いまわせそうな奴が居るから実装しやすそうでもある。ザクとボルジャーノン、ズサとズサン、バウンドドックとムットゥ―は流石に適用できないか?
    リデコってレベルじゃない「関連機体」がいるが、モデリングだとどうなんだろうな(笑)
  61. >聖戦団 懲罰大隊、懲罰大隊(もっと大規模でしょうが)じゃないか。眠っていたやる気を引き出させてくれるお薬(違う)も完備だなんて至れり尽くせりだなぁ。という面白くないボケはともかく、どうやっても社会に適合できない上に反抗的な態度を崩さないくらい我の強い異物を合理的に排除できる、素晴らしい(皮肉7割。勝算3割)制度ですね。宗教を起点にした死兵は手におえないのは歴を紐解けばいくらでも実例があるんで、これも靖世教が恐れられて警戒される一因ですよね。神様が実在するのがフローラントですけれど、一般的な神様を信仰する人がこっちだと往来を行くパンピーだとすると、この人ら(を指揮する人)は信長ですら最終的には潰しきれなかった一向一揆の門徒レベルでしょうから相対したら損得勘定が凄まじい赤字になるでしょうし、下手したら自国の兵や民が感化されてこっそり協力してました、てなことになりかねませんもの。一応、力を振るうのが人類の敵がメインだから現状はそこまで危機感持つものでもないのかもしれませんけど、教祖が世界征服をたくらむ神の代理人である以上、どこまで行っても不気味極まり存在なんですよね。
    いや、懲罰大隊のほうが規模大きいよ。小国の面積が5倍になったからって、まだ全然小さいからね。近代の大国の戦争規模とは比べ物にならん。
  62. WEB漫画の連載を追いかけていると、更新されたと思ったら、「コミックス発売予告」とか「コミックス制作中に付き休載します」とかで絶望することが度々起きる(笑)
    あるあるある(笑)
  63. >《殉義尉》劉陽 承暉 (個人的にはあんまりそうは思わないですが)怪しい主教の信徒、というフィルター外したらびっくりするくらい、捻くれてたり逆張りしない限り、私の考察(という名の妄想)が入り込む余地がない人だ。「昭忠でまた会おう」というのが非掛る人もいるかもしれませんが、前線に立つ兵士が「ここで死んでも終わりじゃない」というのを拠り所にするのは古今東西問わないんで、別段おかしなことじゃないですしね。しかし、彼と他の普通人の領域で善良そうな人、例えばヴォルフガングとかジヴ君あたりと比較することによって、意外と差異はないと気づくか、もしくは靖世教の異端(もしくは以上)ぶりが今より鮮明になるかもしれないですね
    問題は、ここで死ぬほどの強情者は絶対に鎖王神の座に召されないので、絶対再会できないことである(笑)
  64. >沈? 静? あ、ちゃんと夫婦別姓だ。一時期ツイッターで暴れてる人が「夫婦別姓な中国や韓国の方が先進的」とか言ってましたけど、儒教の根本を全く理解してない光景にどんな表情すればいいのか分からなかったですね。閑話休題。つまり、意中の人がいるならその人にふさわしい人になれ、という事ですね。そういうのを統括してる部署に「この人と一緒になりたいんですけどどういう人間がふさわしいと考えてますか?」とか問い合わせとかできるんですかね。なんか、小数点前後の関係でフットワークの軽そうな教祖様直々に教えてもらえそうな気がしないでもないんですが。人をあくまで社会築くための材(財産ではなく材料)として考えるならこっちの方がいいかもしれないですね。もっとも、そういう考えは現代的な考え持つ人間としては心からウェルカムとは言い難いのですが
    個人に関する繊細な情報なので、外部漏洩は重罪です(笑)>問い合わせ 一方で、勝手に傾向と対策的なアドバイスをしてくれる人がそれなりに需要を集めています。
  65. >《不倒卒》畢朝 明遠 なるほど、愛の力は偉大なりですから、彼の本当の愛に感動した神様が力を貸してくれてるんですね。どの神様だろう。色んな側面、切り口があるから愛を司る神様って結構いますもんね。ってお前かぃぃぃぃぃぃ!!! 『家族が気づいたら入ってた(邪神)ランキング上位』の面目躍如でしょうけれど、お前(愛染神)、愛が名前に入ってるけどどう考えても唾棄すべきエゴイズムじゃねえか。愛ってのは独りよがりでも相手のことを思ってないといけないんだよ(思っていればどれだけ独善でもいいとは言っていないです)、手前勝手な独占欲を愛というな。名前変えろ、名前。後、今までのイラストと比べてどことは言わないけどデカすぎない? 別にそこが大きくても小さくてもお前の価値は変わらないと思うよ。低いままさ。……話を畢朝に戻しましょう。正直、彼の側に問題があるわけではなく、薛愛のアピールが足りなかったのが全てなんでどうしようもなかった(教祖に直訴して一騎打ちに勝ったりしたら変わったりしたんでしょうか?)んですが、それ以降の行動が恋愛経験のたりない童貞間丸出しなのは、この社会のダメなところをある意味浮き彫りにしていると劉陽とは別方向に嘆くべきなのか、下手に経験値あったらここまでの執念を持てずに死んでるんだから(邪)神の恩寵はともかくとしてこれでよかったんじゃないかというべきか
    名前は人類が勝手につけたもので、彼女が名乗ったわけではないのである(笑)
  66. フローラント、中華系の人物の紹介、いいなあ。どうしても西洋ファンタジー主体だと、中華系とかは別のファンタジー世界になりがちだしね。素晴らしい。
    人数比率はともかく、色々な文化圏のキャラが居ることは表現していきたい!!
  67. >薛愛 慈玉 畢朝の感想でも言いましたが、彼女が一世一代の勇気を奮って「うるせえ! 私は明遠様と添い遂げるんだ! おら、文句ある奴ぁ掛ってこい! 全員畳んだらぁ!! 課題が必要なら出してみやがれ、今なら成龍だって屠ったらぁ!」と単価切ったら要望通ったんでしょうか。なんか、神様よりゲッターに見初められそうですけれど。いや、分かってます。でもそうはならなかったんだからこの話はここでおしまいなんだよね、ベニー。まぁ、そこで立ち上がれなかった以上、靖世教の考えは当たっていて、駆け落ちしてもうまく行かなかったでしょうから、これでよかったんですかね。名前を口にするのも悍ましい邪神が言うのも一理ありますが、少なくともこのカップリングがうまく行く未来を想像できない以上、少なくとも首を縦に振ることはできないですね。後、お前のそれも独占欲や所有欲が出発点じゃん。相手の畜生っぷりを言えた義理かい。閑話休題。人によっては婚姻後の彼女が薄情に映る人もいるかもしれませんけど、それは畢朝の現状を知ってる閲覧者視点だからであって、客観的には初恋を綺麗でちょっとほろ苦い思い出に昇華させた、いい人生送ってるんですよね
    そんな勇気があれば、そもそもこうはならなかったし、仮に奇跡が起きて勇気を炸裂させたとしても、なんも通りません(笑)
  68. a. >?顔 子和 そういえば今更ながら、字で兄弟の長幼が分かったり、この世代のこの一族の字の一字は統一されている、とかってあるんでしょうか。それともさすがに文化のこの部分は消滅してたりするんでしょうか。閑話休題。ただのいい人に、暗い悦楽を跳ね除けるのはまぁ、無理ですよね。悋気は自分が許容できる量受け止めて、ゆっくり分解するものですけれど、根っこが善良な人はそういう経験が足りず、さりとて相談できず気づくと酷く腹の中が腐ってたりするんですよね。というわけで、士和さん。畢朝を読んでクイズ大会開きましょう。名付けて、「ドキドキ薛愛カルトクイズ~~彼女のことが好きなら当然知ってるよね~~」。はい、「センスないにもほどがある!」という的を射たツッコミは無視します。要するにですね、この人にたまった黒い滓が畢朝への劣等感だというなら勝ってるところがあるって証明すればいいんですよ。ここでポイントなのが、畢朝なら武力、カイ顔なら学問みたいに「その部分で勝っても今更心が動かない分野」は避けないといけないんです。さらに言うなら、できるだけ二人に共通するものがよろしい。そうなれば、必然、薛愛のことをどれだけ知ってるか、愛してるかを競うのがよろしいでしょう。え? 負ける可能性? そこら辺は序盤は子供時代の問題で畢朝にリードさせて後半は結婚後の問題で叩きのめす、という感じにすればいいんですし、もはや妄想の中にしかいない、ここにいない薛愛しか見てない畢朝が今ここにいて、妻と子を愛してる?顔に勝てるわけないでしょう。独りよがりでもそうと呼ぶにふさわしいなら愛は負けませんし、我欲や妄執になったそれを愛とは言わない以上、結果は見えてますよ
    b. >?顔 追記 だから最後の一文みたいに暗い情念を持つことも恐れることもないんですよ。デーンと構えてないさな
    字の兄弟法則は検討した後に「煩わしいし、字面で楽しむ余地が減るのでやめよう」となりました(笑) ちなみに設定上、仮に「畢朝が強引に薛愛を連れ去った場合」、それはそれでまた順応し(流され)て薛愛は畢朝を愛しちゃいます。そーゆー子です。
  69. 阪神優勝!! いやー、9月入ってからのエンタメ路線は本当に胃に悪かった。出来れば勝って胴上げしたかった(才木は持ってるんだか持ってないんだかわからない)ですけれど、贅沢は言いますまい
    びっくりするくらい最後まで気が抜けたくてヒヤヒヤもんだったぜ!!!!
  70. AIを使えばリバースエンジニアリングが簡単に出来るようになって、ほぼ同じ物が作れてヤバいかもという話。シュレッダーのゴミを繋ぎ合わせて元の書類を復元するようなもんで、そうなるとセキュリティやら何やらヤバいだろうと。そして、規制をかけたところで悪意ある人間が守るわけもないので、先により高度なAIを開発して攻撃を防げるようにするしかない。それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ。ちょっと前までAIイラストはラーメン手掴みを出力してくるって笑ってましたが、もう色々と笑い事じゃなくなってきた感じがある。災害に備えて備蓄するより、システムダウンで物流大混乱に備えた方が現実的かもしれませんよ。
    上でも書いたけど、格安AIも最先端AIを参考情報にして「格安のコストで追いついてくる」というマラソンしてるんだよな。
  71. ツイッターでポポーを食べてみたって漫画がありましたが、バンレイシ科って果実が食用にされる一方で神経毒性がある成分を含んでてパーキンソン病の原因ではと疑われてます。細胞のミトコンドリア活動を阻害するので、特に黒質線条体がやられるとか。大量に食べない限りは大丈夫とされてますが、長期に渡っての摂取は危ないと言われてて、ここの地域のパーキンソン病の発生率が高いのはサワーソップのせいではと言われてたりします。まあ食用にしてるけど、実は毒性あるから大量に食べたり、長期摂取は危ないかもみたいなのは珍しくないですし。例えばギンナンを大量に食べたら子供だと死にかねないし。
    「ヤバいのわかってても他に喰うものもないので、現地の人はずっと食べてる豆」とかもあったなぁ。名前忘れたけど。
  72. >51 Geminiってキメ顔でトンチンカンなことを言ってくるイメージがあるな
    課金して拡張モードでこれだから、無課金だとどうなってんだとなる。
  73. 古いノートPC用メモリーってDDR3とかになると思うんだけど、アダプターかましてデスクトップ用にしても、DDR4や5規格のマザボでは動かないのではなかろうか? URL
    動く場合もあるけど動かない場合もある。
  74. 73> ちょっと待って欲しい。「鬼の花嫁」はアニメこそアレだったけど、原作や漫画版はちゃんと「無能と虐げられるだけの主人公が、何故かイケメン人外に気に入られてウルトラハッピー人生大逆転」という内容だったからね。 ちやほやというか、ニンゲンを支配してる上位種族に気に入られるという偉業を棚ぼたで成し遂げたからこその成功で、なんというか「主人公はなんの努力もしてないけど乗ってるモビルスーツの自動操縦が強くて勝ちました」みたいな感じというか。 ま、まあとにかく原作はシリーズ何冊もあるぐらい人気あるんです。 レス不要
    そら人気出ないとアニメ化までせんもんな(笑)
     
9/28      
  ■先週は友人たちへの布教のために、2日に分けてMyGO!!!!!とAve Mujicaの鑑賞会をしたわけなんだけど。

 
ワダツミ「嘘みたいだろ……ここまでのシーン、TV版に一切無いんだぜ……」
友人たち「なん……だと……?」

 というわけで、TV版だとあまりにもあまりで礼儀知らずのモンスターぶりが悪目立ち過ぎて、いわゆる「気まぐれな天才キャラ」の枠を超えて「オーナーに育てられてこの有様ってどうなってんだよ」っていう、ネガティヴな印象があまりにもだった楽奈ちゃんですが。
 映画版のアニメ1本分レベルのエピソード0が追加され、発達障害の子供であることが明示されたので、一転して「じゃあしょうがない」となったわけで、本当にこの新規パートって重要だから、「これが……本編に……無い?」ってなるよな、そりゃ(笑)
 なにせグリグリの新規シーンが投入されたのと同じくらい驚きの追加要素だからな!!!
 家庭環境になんら瑕疵はなく、オーナーも精一杯楽奈ちゃんに寄り添い、悩み、共に歩んだ上でのこれだもの。やりきってたよね。

 
 で、Ave Mujica。当然、布教するくらい好きな作品であることは大前提としたうえで、玉に瑕的に「気になったところ」が前からあって。
 演出的な意図として、まず祥ちゃんの服装の安っぽさに意識を向けて「この作品は、見た目の違いで物語を描くので、皆さんこれからも注目してくださいね」とアピールしてるのに。
 映像では「生活に困窮してるから常に同じ服を着ている様がこれでもかと強調されて、それなりの時間経過もして着古してるはずなのに常に新品同様」とか、身だしなみを気にするであろう性格付けされてるだろうに「寝るときも髪をほどかない」とか、「実家に戻っても同じ服を着続ける」とか、「雨の中すっ転んで汚れてて、それをセリフでも触れているのに、見た目は全然汚れてない」とか、「これ全部、3Dアニメじゃなかったら、ちゃんと着古されてたり、髪ほどいてたり、着替えてたり、汚れてたりするんだろうな」という「3Dアニメで特定の要素で効果的なメリットを得るはずが、重要な部分で不自然さが目立つ」みたいなことになってるのね。
 ライヴシーンの演出で効果抜群だとか最たるものだし、今回の問題とのトレードオフ的なところでも、3Dだから「同じ服を着ているはずなのに、作画ミスで違いが出る」みたいなことが起きない。だから、引き換えに「作画コストが爆上がりして、軽率に着替えられない」ことになる。

 しかもこれが、豊川祥子というキャラに対して露骨に相性が悪い。

 繕ったり綺麗にアイロンがけして整えても補いきれない着古され感とか、泥だらけのまま700キロ以上移動して駆けつける有様とかが、明確に映像として描写されてるほうが、彼女の気高さとの強烈なコントラストになって、絶対に映えるんだよな。細やかな演出って、「髪のほつれ一つ」ですら表現できる。
気高いのにボロっちい。薄汚れているのになお美しい。最高かよ。
 無論、その姿を脳内補完して「とても楽しめた」大好きな作品ではあるが、贅沢を言えば画竜点睛を欠くことになってるな、というお話。
 Ave Mujicaという傑作は、感情の機微を徹底的に描いたがゆえに、それが細部に宿るはずという受け手の期待にだけは、応じきれなくなっている。これがもっと薄っぺらいよくある話なら、「単なる制作上の省略」「画面上の描写をそこまで信用してない」で終わり、そもそもそんな期待の眼差しを向けられないのだから。
 受け手の鑑賞モードが「記号的なアニメを見る視線」から「実写映画や文学的な人間ドラマを読む視線」へと引き上げられてしまったがゆえの、重ねて言うが「贅沢な願望」なのだ。

 
 いやいやべつに島から帰るときの高速バスで祥ちゃんが頭預けてきたシーン、往復風呂入ってないし走ったろうしで、絶対臭いだろうなぁとか興奮してないって!!!!!!!!!!!

 
 あと初華が、祥子の父親の破滅が自分のせいだと思い込んでるの、まず祥ちゃんが「いや悪いのはお前じゃなくて詐欺師だが」となぜ言わんのだろうというのがあるわけだが。
 むしろ言った上で「悪い意味だろうが祥ちゃんの人生に絶大な影響を与えた自分であることが大事なので、頑なに自分のせいだと言い張る。それに、じゃないと罪滅ぼしのために祥ちゃんに尽くす大義名分まで手放さないといけなくなる……という自分の感情を自覚してない」みたいなクソ重感情ぶりを披露してくれたら嬉しいです!!!
     
 



●《春暉神女(フリューリングスマイト)》甘寧(ガン・ニン) 恵和(フイホー) 521~
 
 神寵者20/大司教5/神鎖官5
 筋力12/敏捷力11/耐久力13/知力18/判断力19/魅力21/PB50

 甘寧は、世界征服を目論む鎖王神の神寵者にして、フロウの身から半神へと至った華人の女性である。自らの独善を絶対の基準とし、徹底した統制と独裁によって運営される教団《靖世教》の開祖にして教祖でもある……と、国際社会的には目されている向きがある。

 
 彼女が最初にその勢力を築いたのは、ヴィーリオン南方諸国の1つであるアスキライン王国だった。長年にわたる宗教活動を通じて靖世教は次第に国内へと浸透し、やがて国教として認められるまでに至る。さらにその後、甘寧は当時の国王から王位の禅譲を受けたとされており、宗教上のみならず、世俗の統治者としても国家の頂点に立つこととなった。
 そして、その禅譲の席において、甘寧は半神として召命された。神自らが彼女を地上における己が意思の担い手として認めたこの出来事によって、教団内における甘寧の権威はもはや疑いようのないものとなり、靖世教とその国家における彼女の地位は絶対的なものとして確立されたのである。

 
 靖世教の開祖である甘寧は、現時点において同教団唯一の教祖でもある。すでに200歳を超えているものの、半神となって以降は当然ながら老化そのものが止まっており、現在も若く美しい姿を保っている。もっとも、その容姿は半神となってから初めて得たものではなく、まだ人の身であった頃から、実年齢に比して著しく若々しい姿で知られていた。高位の魔導を修めた者にとって、自らの外見を装い整えること自体はさほど難しいことではないうえ、神寵者はそもそも老化が極めて遅いことで知られている。そのため、彼女が長い年月にわたって若い姿を保っていたことそのものは、特段不可思議な現象として受け止められていたわけではない。
 甘寧という人物の本質もまた、半神となった後に大きく変質したものではないらしい。まだ世に頭角を現す以前、少女と呼ぶべき頃から、彼女を知る者たちの評価はおおむね一致している。「自己中心的で人の話を聞かないところはあるが、掛け値なしの善意で生きており、常に周囲の者たちの幸せを第一に考えるお人好し」。そして同時に、「聡明で機転が利き、押し付けがましい言動ですら的確で、実際に間違っていることがほとんどないため、やがて強く異論を差し挟める者のほうが減っていった」とも語られている。

 
 そのことは本人もよく自覚していたらしく、「ニンちゃんの言うとーりにすれば間違いないよ!」と満面の笑みで断言する姿は、まだ少女であった当時から彼女を象徴する立ち居振る舞いとして周囲に認識されていた。それは尊大さを誇示するための言葉でも、相手を威圧するための方便でもない。本当に、自分の言うとおりにしたほうが皆が幸せになれると信じ、そのために当然のように口を出し、手を差し伸べていたのである。
 こうした人柄ゆえに、靖世教の信者たちは甘寧を、掛け値なしに「純真無垢で善良な少女のまま、神に至った女性」として崇め奉っている。単なる聖人伝的な美化であるならば話は簡単なのだが、厄介なことに、彼女と実際に接点を持ったことのある者ほど、その評価を真っ向から否定しづらい。本当に、そのように見えるからである。邪悪さを隠して善人を演じているわけでもなければ、慈愛を権力獲得のための手段として利用しているわけでもない。少なくとも、彼女自身は心の底から他者の幸福を願い、それを実現するために動いている。
 だからこそ、信者ではない者たちの中には、その善良さそのものにかえって危うさを覚える者も少なくない。感情だけをもって接するならば、彼女を善人と評することにはほとんど躊躇がない。それでもなお全面的な肯定へ踏み切れないのは、「そこが不安なのだ」という理性が最後のところで制止をかけるためである。甘寧の純真さと善意は疑いようのないものだが、それがあまりに揺るぎなく、あまりに迷いなく他者へ向けられるがゆえに、彼女を知る者ほど、その優しさの先にあるものを無条件には信じきれないのである。

 
 甘寧は、自分の意見や指図に従わない者を認めない。ただし、それは権力や実力をもって相手を屈服させるという意味ではない。彼女がまず行うのは、どこまでも誠実な説得である。相手の言い分を聞き、その理由を確かめ、誤解があれば解き、間違っていると思えば徹底的に論じて考えを改めさせようとする。その根底にあるのは悪意でも支配欲でもなく、心の底からの「君のためを思って言っているんだよ?」という善意である。
 そして甘寧は、最終的には絶対に自分が正しいと確信している。自らの判断によって何らかの失敗が生じたとしても、そのことで自信を失うことはない。「自分が失敗したのであれば、他の誰がやっても失敗していた。ならば、これは考えられる中で一番ましな結果だったのだ」と受け止めるからである。本人の口から出る言葉は、もっとあっけらかんとしている。「ニンちゃんだって失敗することくらいあるよ? でも、ニンちゃんでも失敗するなら仕方ないじゃん」。そこには虚勢も強がりもなく、本当にそう考えているだけなのだ。
 これほどまでに誠心誠意、自分のためを思って説き続ける甘寧を前にして、最後まで折れない者はそう多くない。なおも彼女の判断を受け入れられない者が選ぶのも、多くの場合は反逆ではなく、その場を去ることである。怒りに任せて抗うのではない。何を言っても彼女は自分の善意と正しさを疑わず、こちらの言葉を聞いたうえで、それでもなお説得を続けてくる。その果てに、もうこれ以上はどうにもならないと諦めるのである。

 そうした甘寧の独善が奇妙なほど嫌悪されにくい理由の1つに、彼女が自分を万能の天才だとはまったく考えていないことが挙げられる。周囲の意見に耳を傾けることには一切の躊躇がなく、知らないことを知っているふりもしない。自分の手に負えない仕事があるなら、その分野で信頼できる者に託すことも当然だと考えている。自分にできないこと、自分より優れた者がいること、知識の及ばない領域があることを恥じるという感覚そのものが、彼女にはほとんど存在しない。
 ゆえに甘寧の周囲では、専門家も部下も反対者も、意見そのものを口にすることはできる。彼女もそれを歓迎し、必要だと思えば質問を重ね、知らなかった事実を教えられれば素直に認識を改める。そのうえで、あらゆる意見を聞き終えた後、「みんなの意見を総合するとぉ~」と楽しげに切り出し、自ら下す最終的な判断についてだけは絶対的な自信と確信を持つのである。
 鷹揚な支配者を気取り、いかにも聞き分けのよい顔をして周囲の意見を聞き流し、結局は最初から決めていた自説を押し通しているというわけでもない。彼女自身にそのような認識は欠片もなく、実際、他者の意見によって判断の内容そのものが変化することも珍しくない。ただし、甘寧が他者に求めているものは、徹頭徹尾「参考意見」である。誰の言葉をどれほど重く受け止めようとも、最後に自分の責任のもとで下した決断だけは絶対に譲らない。
 そして、その決断において最上位に置かれるのは、あくまで甘寧自身の価値観である。相手が嫌がる理由が好みの問題であろうと、理解力の不足であろうと、あるいは本人にとって極めて切実な感情によるものであろうと、彼女が「こちらのほうがその人のためになる」と判断したならば、「だって絶対そのほうがいいよ!!」と押し切る。甘寧自身の認識においては、それでもなお、相手に誠心誠意寄り添っているのである。
 彼女は相手の気持ちを理解しようとしないのではない。悲しみも、怒りも、不安も、嫌悪も、可能な限り理解したうえで、それでもなお、その感情より自分が判断した幸福のほうを優先する。だからこそ、強い自律心と理性を持つ者には、その姿勢が危うく映る。そこには悪意ある抑圧者の分かりやすい傲慢さがなく、善意ゆえに最後の一線を越えてくる者の恐ろしさがある。
 人にはそれぞれ、客観的には損をすることになろうとも、それならば自分は納得できるという落とし所がある。甘寧は、それを最終的な答えとして認めない。「本人がそうしたいのだから、それでよい」という考え方を、彼女は他者の意思を尊重する態度ではなく、より幸せにできる可能性があるのに見捨てることだと捉えるからだ。

 
 だから彼女は、揺るぎない善意をもって相手の手を取り、「絶対に幸せにしてあげる!!」と寄り添い続ける。

 ゆえに、甘寧は怠惰を許さない。真面目に働いた者が幸福になるべきだと心から信じているからである。孤独も許さない。皆で笑顔を交わし、仲良く生きることが一番なのだから、独りでいることを望む者にも仲間の輪へ入るよう手を差し伸べる。放蕩も許さない。自分1人が必要以上の贅沢をするほど余裕があるのなら、「困ってる人に分けてあげよ?」と当然のことのように求める。
 差別はなおさら許さない。生まれや種族を理由に誰かを下に見ることなど、彼女に言わせれば「そんなことしたら竜と一緒だよ?」の一言である。そして裏切りも許さない。「そんなのとーぜんでしょ?」と、そこについて議論の余地があること自体を不思議そうに受け止めるだろう。

 
 そうして彼女の思想は、結局のところ極めて単純な結論へと行き着く。皆が互いを大切にし、困っている者を助け、真面目に働き、争わず、裏切らず、それぞれの力を持ち寄ればよい。国も民族も立場も越えて、「一緒にみんなで世界を仲良し家族にして、力を合わせるのが一番なのよ!」というのが、甘寧の掲げる世界征服なのである。
 神々しさとあどけなさを併せ持つ、美しい少女の姿をした半神。その頭の中を満たしているものは、陰謀でも野心でも、己の欲望を満たそうとする打算でもない。一片の曇りもない、世界を平和にし、そこに生きるすべての者を幸せにするのだという使命感である。そして甘寧は、その使命を果たすために自分が世界を導くことこそが最善なのだと、ただの一度も疑っていない。

 甘寧の価値観において、靖世教の信者たちは皆平等である。より正確に言うならば、「自分以外はすべて平等」である。自分こそが最も正しく、家族も同然である信者たちを導く責任を神より与えられた存在であるという認識だけは揺るがないが、それ以外の者たちの間に、生まれながらの上下があってよいとは考えていない。
 その思想は靖世教国の統治制度にも明確に反映されている。行政官や軍人、聖職者など、それぞれが担う役職に応じて権限の広さや指揮命令関係には当然ながら差が設けられているものの、それはあくまで職務を遂行するために必要なものに過ぎない。貴族と平民のように、人そのものの価値や権利に絶対的な差を設ける身分制度については、甘寧自身が貴族層への説得を重ねたこともあって段階的に廃止され、現在の靖世教国には実質的な意味での貴族制度は存在していない。
 旧来の貴族たちが家名や爵位まで奪われれたわけではなく、それらは現在も名目的な称号として保持されている。家の歴史や由緒そのものを否定する必要はない、というのが甘寧の考えだからである。ただし、それによって他者より多くの権利を持ったり、特別な待遇を当然のものとして要求したりすることは認められていない。爵位はその家が積み重ねてきた歴史を示すものではあっても、それを持つ者が持たない者より上等な人間であることを意味しない。

 そもそも甘寧は、個人と個人の関係において、相手から敬意以上のものを得ようとすること自体をよしとしていない。役職上の上位者だからといって、部下を頭ごなしに怒鳴りつけたり、自分への服従を当然のものとして振る舞ったりすることは、権威ある態度ではなく単なる礼儀知らずとして扱われる。上に立つ者も下にいる者も、相手を1人の人間として尊重する。それこそが靖世教国における正しい人間関係なのである。
 この点について甘寧は、堅苦しい礼儀作法を覚えろという話ではなく、「相手を大事にしようと思っているかどうか」の問題なのだと明言している。どの場面で何度頭を下げるべきか、どの身分の者にどの言葉遣いをするべきかといった複雑な規範ではない。それゆえ高度な教養を持たない者にとっても受け入れるための敷居は低く、その低さゆえに、教国社会の末端にまで深く浸透している。

 そして、その光景を国の外から眺める周辺諸国の統治者たちにとって、これは決して微笑ましい話ばかりではない。生まれによる特権を否定し、上に立つ者にも下にいる者への敬意を求め、それを難解な思想としてではなく、誰にでも分かる素朴な道徳として広めていく。そうした価値観が自国の民衆にまで浸透したとき、既存の身分秩序がどのような目で見られるようになるのか。その可能性を理解できる統治者ほど、靖世教を畏れ、警戒している。
 事実、かつてはヴィーリオン南方諸国の一角を占める小国に過ぎなかったアスキライン王国は、現在では国号を靖世教国と改め、周辺に存在していた幾つもの小国を取り込みながら、その版図を当時のおよそ5倍にまで広げている。

 
 にもかかわらず、その過程で靖世教国の軍が隣国を侵略するために用いられたことは一度としてない。甘寧の考えにおいて武力とは、国内の治安を守り、竜や魔獣をはじめとする人類の外敵に立ち向かうために備えておくものであり、自分たちの考えを他国へ押しつけるための道具ではないからである。少なくとも、靖世教国は剣をもって国境を押し広げてきた国家ではない。
 そのため、実際に併合を経験した当事者や、特段の利害を持たずその経過を眺めている者からすれば、靖世教国の拡大はあくまで平和的な併合の積み重ねとして映る。戦争によって王家を滅ぼしたわけでも、住民を恐怖で屈服させたわけでもない。靖世教の思想と制度が受け入れられ、その影響力が広がった末に、政治的にも1つの国へ組み込まれていったのである。
 ただ、それを当事者としてではなく、ある程度距離を置いて論理的かつ冷静に観察することを許された者の中には、その光景から「文化侵略」という言葉を想起せずにはいられない者もいる。軍勢が国境を越えるより先に、人々の価値観が靖世教のものへと変わっていく。やがて従来の身分制度や社会規範が当然のものではなくなり、自国のあり方そのものに疑問を持つ者が増え、その果てに国家まで靖世教国へと取り込まれていく。そのすべてが当人たちの同意と善意のもとで進んでいるからこそ、それを侵略と呼んでよいものなのかさえ判然としないのである。

 


●靖世教(ジンシー・ジャオ)
 
 靖世教は、ヴィーリオン南方諸国の1つである靖世教国において国教とされている宗教である。
 靖世神を崇め仕える半神にして教祖である甘寧は、世界平和の実現を最終目標に掲げており、そのためには人々が互いに支え合い、一致団結してあらゆる困難に立ち向かわなければならないと説く。これは単なる理想論として掲げられているものではなく、信者自身の生き方にも、周囲の者たちとの関係にも等しく求められる、靖世教における根本的な倫理である。

 教団組織は教祖を絶対的な頂点としている一方、それ以外の信者については、原則として全員が平等な権利を有するものとされている。役職に応じた権限の広狭や、組織を機能させるための指揮系統としての上下関係は明確に存在するものの、それはあくまで職務上の差異に過ぎない。貴族と平民のように、生まれや身分そのものによって人間の価値や権利に根源的な格差が生じるという考え方を、靖世教は認めていない。
 個人と個人の間に存在するべきものも、制度として固定された身分差ではなく、その者の人柄や経験、実績などから自然に生じる敬意に基づいた関係性であるとされる。ゆえに靖世教は、極めて徹底した平等と博愛を掲げる宗教であると言ってよい。ただし、その理念を徹底して実践した結果として、一般的な社会感覚から見れば大きく逸脱していると受け取られる部分も少なくない。
 もっとも、その「一般的な感覚」とは、結局のところ、それぞれの社会や文化が当然のものとして受け入れている価値観に過ぎない。靖世教は、その当然とされてきた基準そのものを疑い、別の価値観を徹底して社会へ適用することで、何が常識であり、何が異常であるのかという判断すら、本質的には主観的なものでしかないことを体現している宗教でもある。

 
 靖世教国においては、国法と靖世教の戒律が事実上同一のものとして扱われている。国民すべてに靖世教への入信まで求められているわけではないが、その戒律は同時に国家の法でもあるため、信仰の有無にかかわらず遵守しなければならない。信者だからといって特別な待遇を受けることはなく、非信者であることを理由に迫害されたり、行政や公共サービスにおいて不利益を被ったりすることもない。ただし、それは誰であろうと靖世教の戒律に誠実であることを大前提としたうえでの平等である。
 宗教国家という性質から、その運営に必要な財貨も寄付や献金によって賄われていると思われがちだが、甘寧が国主となり、アスキライン王国が靖世教国へと改められて以降は、明確な税制が敷かれている。これは甘寧自身の、「曖昧にすると、頑張り過ぎる子が出ちゃうからね。みんな家族想いだから」という考えによるものだった。「だって『お気持ちだけ』とか言われても、ニンちゃん困っちゃうし~」とは彼女自身の偽らざる本音であり、善意や信仰心に任せて際限なく差し出させるより、最初から必要な負担を明示したほうが皆にとってよい、と考えているのである。
 言い方を変えれば、負担を曖昧な善意に委ねるより、誰がどれだけ負担するべきなのかを明確に定めてしまったほうが、人々も迷うことなく従うことができるという、極めて効率的な制度でもある。もっとも、甘寧自身にはこれを「効率的な搾取手段」と見なす発想などなく、あくまで「効率的な助け合いの方法」でしかない。実際、靖世教国の課税が国民の生活を圧迫するほど苛烈なものというわけでもない。
 同様に、靖世教は勤勉を美徳とする一方、無理を重ねることまで善とはしていない。体調を崩した者を鞭打って働かせることもなければ、その者の能力を超えた成果を要求することもない。頑張ることはよい。けれど、限界を越えてまで頑張り続けることは、むしろ周囲に余計な心配や負担をかける行為として好ましくない。これもまた、甘寧が一貫して説くところである。
 当の甘寧自身は、国家の奉仕者としてどれほど多くの仕事を背負うことになろうとも、それを厭うことがない。苦労とすら感じず、むしろ人々のために働くことそのものに生き甲斐と充足を見出している。だからといって、その生き方を国民にも要求することはない。「みんなはそんなことしなくていいよ。平等に助け合おうね」というのが彼女の考えであり、自らの献身を他者にまで当然のものとして求める発想は持っていない。
 その一方で、助けられた者には、可能な範囲で助け返すことも求められる。「だから、お世話した分は、恩返してもらっていいんだよ」という甘寧の言葉は、靖世教における互助の考え方をよく表している。誰か1人が一方的に我慢し、苦労し、奉仕し続ける関係は、それ自体が「可哀想」なものだからである。したがって靖世教では、自らが共同体へ差し出しているものに比して、必要以上の恩恵だけを受け続けることもまた、望ましいあり方とはされない。助けることと助けられること、その双方が可能な限り釣り合いながら巡っていくことこそが、彼らの考える平等な助け合いなのである。

 靖世教国においては、性質的に、何らかの面で社会性を著しく欠いている者は、生来の障害を持つ者と同じように扱われる。たとえ怠惰ゆえに共同体へ馴染めない者であっても、まずは教団組織が手厚くその者の「更生」に向き合い、働き方や生活環境、人間関係を整えながら、可能な限り社会の一員として生きられるよう導いていく。それでもなお手に負えないのであれば、靖世教の考えでは、もはやそれは本人の怠慢や悪意ではなく、一種の病気なのである。
 そうして「恩を返すことのできない存在」と見做された者であっても、靖世教は無慈悲に切り捨てることを許さない。社会から落伍したからといって、飢えさせ、見捨て、野垂れ死にさせることは不道徳である。ゆえに彼らもまた、可能な限り愛され、養われ、介護される。ただし、それは際限のない奉仕を一方的に受け続けてよいという意味ではない。靖世教が彼らに差し出す恩恵には、その者が何らかの形で将来的に返し得ると想定される範囲という、明確な考え方が存在している。
 もっとも、高齢者のように、すでに長い人生を通して十分に共同体へ尽くしてきた者は別である。若い頃から働き、家族や隣人を支え、社会を維持するために力を尽くしてきたのであれば、年齢とともに仕事量を減らしていくことは当然とされる。「今までいっぱいみんなを助けてくれたんだから、今度はゆっくりしていいんだよ」というのが甘寧の考えであり、老いて働けなくなった者を単純な負担として扱う発想は靖世教にはない。
 では、若くして「病気」と判断され、通常の労働や社会参加によって恩返しを行うことが困難と見做された者はどうなるのか。ここで問題となるのが、人体というものは、単なる労働力以外にも物理的な資源として様々な用途を持ち得る、という現実である。その身体が持つ価値を試算し、それによって賄い得るだけの恩恵を社会から受け終えた時点で、彼らは神へその身を捧げることによって、自らの受けた恩を「聖算」する。
 甘寧にとって、一方だけが我慢し、苦労し、奉仕し続ける関係というものは、何よりも「可哀想」なのである。それは「ずるい」という憤りではない。誰かが得をし、誰かが損をしていることへの憎悪でもない。ただ、一方だけが永遠に背負い続ける関係は、どちらにとっても幸福ではないという、彼女なりの慈悲による結論である。

 
「ちゃんとみんなに大事にしてもらったでしょ? 君も最後にみんなを助けられるんだよ。よかったね!」

 甘寧は、おそらく心の底からそう言うだろう。彼女にとっては、聖算することすら救いなのである。誰かに支えられ続けるだけで終わるのではなく、最後には自分の持つものを用いて共同体へ恩を返し、そのうえで神のもとへ行く。それは靖世教の倫理の中では、むしろ一方的な被扶養者として人生を終えるよりも、ずっと幸福な結末と見做されている。

 外部から見れば、これは明らかに異質で恐ろしく、ともすれば邪悪とさえ映る制度である。だが靖世教国の社会全体を見渡したとき、それだけを切り取って評価することもまた難しい。
 誰もが真面目に働きさえすれば、皆が相応に安定して暮らしていけるというのは、現実には理想論である。人には能力差があり、健康状態にも差があり、そもそも労働力の使い道が常に十分用意されているとは限らない。ゆえに通常の社会では、どうしても貧困層が生まれ、十分な食事も医療も得られないまま体調を崩し、そのまま死んでいく者が現れる。
 靖世教国では、この「単純な貧困を理由として死ぬ者」の比率が極端に低い。餓死する者は少なく、困窮した末に社会との繋がりそのものを失う者もほとんどいない。ありふれた風邪をこじらせて命を落とすという、他国では珍しくもない光景も、靖世教国で完全に消えたわけではないにせよ、その頻度は明らかに低く抑えられている。
 もちろん、だからといって国民全員が裕福に暮らしているわけではない。むしろ平均的な生活水準という意味では、それなりに健全に運営されている他国と比べて低い部類に入る。それでも生活水準の中央値は高い。富裕層が突出した贅沢を享受する一方で貧困層が切り捨てられる社会ではなく、上も下も大きく均され、典型的な国民が慎ましく安定して暮らすことを優先する社会だからである。

 
 この安定を支えているのが、国家による徹底した人的資源の差配である。靖世教国では、その時々に国家が必要としている仕事へ、適切と思われる人材が割り当てられることで生産社会が維持されている。個人の希望を差し挟む余地が皆無というわけではないが、それが最優先されることもない。
 一度配属された仕事を生涯続けなければならないような硬直した制度でもなく、適性や成果、健康状態、社会全体の需要に応じて配属は適宜見直される。そのため、自分が望んだ仕事に就き、毎日を楽しく過ごしていたとしても、それが十分な生産性へ結びついていないと判断されれば、容赦なく別の仕事へ再配分されることもある。
 好きこそものの上手なれとなり、本人の希望と能力、社会からの需要が一致した者にとっては、文字通り理想的な社会である。自分の得意なことを好きなだけ磨き、それがそのまま共同体への貢献となるからだ。反対に、下手の横好きであったならば、本人には妥協と適応が求められる。
「あんま食えないけど、俺はこれで満足しているんだ」
 そうした生き方さえ、一種の贅沢として認められないのが靖世教国である。本人が貧しく暮らすことを自分で選んだつもりでも、その結果として病気になり、生活に困窮すれば、結局は共同体がその者を助けることになる。ならば、自分だけの満足のために社会全体へ余分な負担を生じさせる生き方を選ぶことは、本当の意味で「自分だけの問題」ではない。
 この一貫した「君の人生は君だけのものではない」という価値観こそが、靖世教国を支える根幹である。
 そして、その効率性の代償として、社会の冗長性と多様性は大きく犠牲となっている。靖世教国が芸術そのものを軽視しているわけではない。むしろ宗教芸術の分野においては国際的にも極めて高い評価を受けており、教団が必要と認めた美術、建築、音楽、工芸には多くの人材と資源が注ぎ込まれている。
 問題となるのは、それ以外の、一見したところ無意味であり、非生産的にしか見えない活動である。無駄を不得手とする靖世教国の社会構造では、何の役に立つのか誰にも判らない研究や、本人にしか意味を見出せない創作、奇妙な趣味や遊びといったものに長期間人員を割り当てることが難しい。そのため、後になって初めて価値が判明するような発想や、無意味な試行錯誤の果てに偶然生まれる革新は、どうしても世に出にくい。
 それでも、国民が朝から晩まで生産活動へ追い立てられているわけではない。慎ましいながらも安定した暮らしが保障されているため、多くの者には一定の余暇が与えられている。そして靖世教そのものが、他のそれらと同様に宗教組織であると同時に巨大な教育機関でもあり、啓蒙と教育活動には非常に熱心である。そのため国民全体の教養水準は高く、個々人の生来の知能や才能はともかくとしても、識字率という点では他国と比べて図抜けた水準に達している。

 
 教団が社会全体を見渡し、必要とされる仕事へ適切な人材を差配し、効率的な生産計画のもとで皆が一致団結して暮らしを支え合う。そうした靖世教国の社会構造に、かつて星渡りの民の間に存在した、とある政治形態との類似を見出す者もいるかも知れない。それは万人の平等と共同による理想社会を掲げながら、結局のところ人の身には余る理想を求め過ぎたがために、長い歴史の中で泡沫の夢と消えていったものだという。もっとも、そのような過去を知り、なおかつ両者を比較できるほど深い知識を持つ者など、今日ではごく限られている。
 そして、もしその理想が潰えた理由の一端に、それを執り仕切る者もまた欲望や偏見、能力の限界を抱えた人間でしかなかったという問題があったのだとすれば、当然ながら次の疑問が生じることになる。

 では、それを執り仕切るものが人ではなく、神であったならば、どうなるのか――。

▼靖世教の位階

「位階が上だから偉いんじゃないよ? いっぱい任されてるだけだからね」

・教祖
 甘寧ただ1人。これは位階というより別格。

・大同師
 靖世教における最高位の聖職者。教祖たる甘寧の下で、広大な地域や複数の教区、あるいは教団全体に関わる重要な部門を統括し、慈正以下の聖職者を束ねる立場にある。教義の解釈や大規模な人事、国家運営にも深く関わり、靖世教国においては宗教上の重職であると同時に、実質的な国家中枢の一角を占めることも多い。
 名称にある「大同」とは、人々が隔てなく結びつき、私利や身分差を越えて一つの共同体として支え合う、靖世教が理想とする社会のあり方を示すもの。ゆえに大同師とは、単に多くの権限を持つ高位者ではなく、広く社会全体を見渡し、その調和と安寧に責任を負う者とされる。靖世教の建前においては、慈正以下の者より人として尊いのではなく、ただ最も広い範囲について責任を任されている者なのである。

・慈正
「慈しみを正しく行き渡らせる者」
 広域の教務と人事を預かる上級聖職者。複数の和導や地域組織を統括し、教義の運用、重要な人物査定、婚姻や職務の差配、重大な戒律上の判断などに携わる。靖世教における「慈しみ」を、個人への情だけではなく、社会全体へ正しく行き渡らせる立場とされる。そのため人柄を見る目と冷静な判断力を強く求められ、時には本人にとって耳の痛い評価や決定を下すこともまた、慈愛の一部と考えられている。

・和導
「和へ導く者」
 一定の共同体や組織を取りまとめ、人々を「和」へ導くことを任された中級聖職者。複数の仁士や愛徒を指揮し、地域の教務、教育、福祉、紛争の調停、婚姻の差配などについて責任を負う。軍やその他の専門組織に置かれる場合もあり、その際には宗教的指導者としてだけでなく、実務上の指揮官や責任者を兼ねることもある。位が高いから偉いのではなく、より広い範囲について責任を負わされている、というのが靖世教における建前である。

・仁師
 地域の信者たちと最も直接に接する、靖世教の一般的な聖職者。日々の悩みや相談を聞き、生活上の助言を行い、教育や救済活動、日常的な祭儀などを担う。信者個々人の人柄や家庭事情にも通じることが求められ、婚姻の仲立ちや人物評価などにも関わる。靖世教が掲げる博愛を、もっとも身近なところで実践する者たちである。

・愛徒
「愛を実践する徒」
 靖世教における下級聖職者。教団の教えを学びながら、寺院や地域社会における奉仕活動、祭儀の補助、教育、救貧などの実務に携わる。単なる見習いというよりは、すでに正式な聖職者の一員ではあるが、独力で信者を導いたり重要な判断を下したりする立場ではなく、仁士以上の者の指導を受けながら経験を積む段階にある。


●聖戦団
 
 聖戦団は、靖世教国において「病気」と判断された者のうち、身体的には戦闘に耐え得ると見做された者たちが配属される部隊として広く知られている。彼らはその「病気」ゆえに士気が低く、戦うことへ強い恐怖や忌避を抱く場合も多いのだが、甘寧はそれを本人たちの責とは考えていない。むしろ、本来ならば皆のために力を尽くすことができるのに、病気によって勇気を奮い起こせないことを不憫に思い、その助けとして彼らには戦意を高揚させる神の加護が与えられる。

 一般的な戦場においても、兵士の士気を高め、恐怖を和らげ、勇気を奮い起こさせる呪文や加護は決して珍しいものではない。そのため、外部から見れば聖戦団に施されているものも、それらと同系統の術式であると解釈するのが自然である。ただし靖世教の教えにおいては、外部から新たな勇気を植え付けているのではなく、「病気によって眠らされていた、彼らが本来備えていた敢闘精神を覚醒させ、本来望んでいたように心置きなく献身できる状態へ戻している」のだと説明される。
 もっとも、その状態を常時維持することはできない。甘寧自身の言葉を借りるならば、「無理矢理お尻を蹴っ飛ばして起こしてるだけだから、ずっとは無理なんだよね」とのことであり、加護を持続させ続けるには多大な魔力を要するうえ、受ける側の心身にも強い負担がかかる。そのため、この勇気の覚醒はあくまで戦闘など必要な場面に限って一時的に施されるものとなっている。
 靖世教にとってこれは、意思を捻じ曲げて兵士を戦わせるための術ではない。心ならずも皆のために働くことのできない可哀想な者たちが、本来の自分を取り戻し、共同体へ力を尽くせるようにするための、精一杯の力添えなのである。

 聖戦団をひとつの戦闘単位として見た場合、もっともよく知られているのは、先陣と殿軍という、いずれも大きな危険を伴う役目における異様なまでの勇敢さである。敵陣へ真っ先に踏み込み、あるいは味方の撤退を支えるため最後まで戦場に残る。通常ならば兵士の恐怖心や士気の限界が最も露骨に表れる局面にあっても、彼らはほとんど恐れを見せることなく命令を遂行し続ける。
 もともと宗教組織が抱える戦力は、信仰を共有する者たちによって構成されるがゆえに、世間一般の軍勢と比べて士気が高いことで知られている。その中にあってなお聖戦団の敢闘ぶりは群を抜いており、命知らずの精鋭として名高い剛毅神教団の戦士たちにも比肩するとまで評されることがある。
 ただし、そこで高く評価されているのはあくまで士気であって、兵士としての練度そのものではない。冷静な軍事的評価を下すならば、個々の戦闘技量はせいぜい民兵程度であり、高度な部隊運用に耐え得るような鍛え抜かれた精鋭とは言い難い。単純で明確な命令を与えられれば、それを妄信的なまでの勢いで猛然と遂行する一方、状況に応じた判断や複雑な戦術運動を求められると、途端に手に余るというのが実情である。
 それでもなお、士気崩壊をほとんど起こさず、どれほど危険な状況でも命令通りに戦い続ける戦闘単位というものは、それだけで極めて有力な手札となる。靖世教国にとって聖戦団は、決して最強の部隊ではないが、使いどころを誤らなければ極めて頼りになる戦力であり、その軍事力を支える一翼として大いに重用されている。教団側もまた、彼らが皆のために身を捧げるその奉仕の生き様を積極的に褒め称え、聖戦団の武勇と献身を広く喧伝している。

 これを聞かされる諸外国にしてみれば、たまったものではない。ただでさえ靖世教の一般兵すら士気が高く、容易には崩れないことで知られているのである。そのうえ、さらに輪をかけて恐れを知らず、先陣や殿軍といった最も厄介な場所へ投入される部隊まで存在するとなれば、実際に戦うことを想像するだけで胃が痛くなってくる。そういう意味では、聖戦団の存在そのものが見事な抑止力として機能していると言えるだろう。
 幸いなことに、これまで靖世教国の正規軍が、人類の共同体そのものを相手取る戦争へ投入された前例は存在しない。もっとも、そのすべてが純粋な友好と相互理解によって回避されたものだったのかは判らない。相手側が靖世教国との戦力差や、その軍勢が備える異様な士気を冷静に計算し、「戦うよりはましだ」と判断した結果として、結局「そうならなかった」だけに過ぎない事例も、あるいは存在していたのかも知れない。

 聖戦団が実際に投入される戦場は、多くの場合、人類の外敵との戦いであり、とりわけ地底における戦闘でその名を広く知られている。彼らにまつわる数々の勇名と悪評も、そうした地下戦で生まれたものが多い。危険な坑道の奥深くで先陣を切り、あるいは最後まで退路を守り抜いて散っていった者も少なくなく、文字通り靖世教国の大地は、彼らの屍によって支えられているとさえ言われる。
 もっとも、聖戦団の絶対数そのものは決して多くない。靖世教国が露骨なまでに苛烈な圧政を敷いているわけではない以上、教団による説得や「更生」を受けながらも、なお病気と判断されるほど強固な意志をもって己の生き方を貫き続けられる者は、そもそもそう多くないからである。
 そのため、実際の構成員としては、通常の勤労や奉仕によっては到底贖いきれないほどの大罪を犯した犯罪者が多数を占めるとされる。中でも多いのは、靖世教の信者ではないが靖世教国の国民ではある者たちである。信仰を持たずとも国法として戒律には従わねばならない以上、その一線を大きく踏み越えた者が、最終的な贖いの場として聖戦団へ送られることになる。
 要するに、聖戦団は靖世教国の主戦力として数えられるほど大規模な部隊ではない。にもかかわらず、その性質があまりにも特徴的であるがゆえに、国外からは実数以上に強く印象づけられている。恐れを知らず、命令がある限り戦い続ける部隊が存在するという事実だけでも、抑止力としては十分なのである。

 そして、それは国外に対してのみではない。甘寧自身はまるで意図していないことであるが、聖戦団という存在は国内においてもまた、「そう」なのである。
 


●《殉義尉(トーデスゲフェールテ)》劉陽(リュウ・ヤン) 承暉(チェンフイ) 700~
 
 神官戦士7/軍僧6
 筋力13/敏捷力10/耐久力14/知力13/判断力16/魅力14/PB29

 劉陽は、靖世教国の聖戦団に属する一隊《捐躯》の前線指揮官を任される神尉にして、和導の位にある聖職者である。靖世教の教義にきわめて忠実な人物であり、その人柄は慈悲深く、善良な神の戦士と評するほかないとされる。

 彼の役目は、自らも最前線へ身を置きながら、聖戦団の兵たちに死地へ身を捧げることを命じることである。そこに躊躇や葛藤はない。劉陽にとってそれは、兵たちに聖算という栄光ある責務を果たさせ、その本懐を遂げる手助けをする行為だからである。己の命を顧みず献身へと身を投じる者たちの姿を、彼は心の底から崇高なものとして敬い、その精神に胸を打たれている。
 病に苦しみ、恐怖に泣き叫ぶ者たちに神の加護を与え、その病魔を一時なりとも打ち払い、胸の奥に眠っていた勇気を奮い起こさせることもまた、劉陽にとっては救済の一つである。加護を受けた兵たちが恐れを振り払い、勇敢に戦場へ踏み出していく姿を目にするたび、彼はそこに尊さを見出す。
 そうして彼らが皆のために力を尽くし、自らに与えられた務めを全うできるよう導くこと。それこそが劉陽に課せられた大任であり、彼はその役目を任されていることに、この上ない誇りを抱いている。

 彼が任される《捐躯》隊は、主として先駆けに投入される部隊である。劉陽はその指揮官として幾度となく最前線へ身を投じ、多大な犠牲と引き換えに敵の前線を食い破り、後続のために突破口を開く戦いを指揮してきた歴戦の勇将でもある。
 その戦歴の中には、劉陽自身が命を落とした戦いすら1度や2度ではない。《捐躯》隊の献身によって戦術的勝利へ結びつくことが常であり、指揮官としての彼が以後の戦いにも必要と判断されるため、その都度蘇生を施されて今日まで戦場へ戻り続けてきたのである。文字通り、配下の者たちと生死を共にしてきた指揮官と言ってよい。
 だからといって、自分だけが蘇生され、戦場に散った兵たちはそのまま神霊界へ赴くことについて、劉陽が「自分だけ申し訳ない」といった感覚を抱くことはない。彼にとっては、自分も戦友たちも、それぞれに与えられた役目を果たしているに過ぎないからである。自分にはなお現世で果たすべき務めが残されている。ならば蘇ったからには、より一層の奮起奮励をもって、その役目に応えればよい。ただそれだけのことであった。
 これは劉陽個人の独特な死生観というだけでもない。靖世教は、今日死んだ者とこれから死ぬ者の違いなど、結局のところ神霊界におわす神のもとへ召される順番の違いに過ぎず、神の前にあって人の命数など誤差でしかないと説いている。大事なのは、何年生きたかではなく、その間にどれほど己の役目を果たすことができたのかである。
 ゆえに劉陽は、これから死地へ赴こうとする戦友たちを悲壮な面持ちで送り出すことはない。先に神のもとへ向かう者へ別れを告げるだけであり、いつか自分も同じ場所へ行く。その確信のもと、彼はいつも晴れやかな笑顔で、ただ一言を贈るのである。

「昭忠でまた会おう」

 個人としての劉陽は、品行方正で温和な紳士である。戦場における勇猛果敢な振る舞いとは裏腹に、ひとたびそこを離れれば物腰は穏やかで、声を荒げる姿を見た者はいないとさえ言われる。武人として名を馳せる一方で書画を嗜む文化人でもあり、その腕前は単なる余技の域に留まらず、天覧会においてもたびたび入選を果たしている。
 私生活においても良き夫、良き父であり、妻子との間には深い敬意と絆が育まれている。その家庭は、互いを尊重し、支え合い、それぞれに与えられた役目を喜んで果たすという、絵に描いたような靖世教の理想的家庭像を体現したものと評してよい。戦場で数多の死を目にし、自らも幾度となく命を落としてきた人物でありながら、日々の暮らしに陰鬱さを持ち込むこともなく、家庭と趣味、信仰と職務のいずれにも充足を見出して生きている。
 靖世教国を危険視する者たちからは、こうした人物すら、狂信的な宗教国家によって作り上げられた勇者に過ぎず、張り付いた笑顔を浮かべながら与えられた役目を演じ続ける、神に操られた空虚な人形なのだと評されることがある。だが実際に劉陽の生き様を目の当たりにして、むしろ逆の結論へ至った者もいる。もし神の意に沿って生きることの結果として、これほど穏やかな家庭を築き、己の仕事に誇りを持ち、趣味を楽しみ、周囲から敬愛されながら人生を送れるというのであれば、それは果たしてそれほど悪い取引なのだろうか、と。
 そう考えた末に靖世教へ転向し、入信した者も存在する。少なくとも彼らの目に映る劉陽は、神に糸を引かれて動く人形などではない。自らの信仰を選び、自らの役目に誇りを持ち、家族を愛し、書画を楽しみ、戦友を敬いながら、自らの意志で人生を謳歌している1人の人間にしか見えないのである。


●沈琰(シェン・イェン) 静姝(ジンシュー) 708~
 
 聖堂士4
 筋力10/敏捷力11/耐久力11/知力12/判断力14/魅力15/PB24

 沈琰は、劉陽の妻である。靖世教団の慈正である沈懐の娘として生まれ、自身も仁師の位にある聖職者であり、劉陽が聖戦団《捐躯》隊の神尉に任じられた際、その妻として教団によって縁組された。

 原則として、靖世教における婚姻は当人同士だけで決めるものではなく、教団が間に立って差配するものである。とりわけ責任ある立場にある者ほど、その人格や能力、生活環境、職務上の事情など様々な面から精査され、互いに相応しいと判断された者同士が結ばれることになる。一般の信者すべてについて、そこまで細密な調査と選定が行われるわけではないが、それでも地域の人間関係や個々の風評、人品に通じた聖職者が仲立ちを務めるのが普通であり、信者同士の恋愛結婚は一般的なものではない。
 靖世教国において恋愛結婚とは、むしろ靖世教の信者ではない国民が行うもの、というのが半ば常識となっている。もちろん、差配を受ける当人同士がすでに恋愛関係にあるならば、その事実がまったく考慮されないわけではない。ただし、それだけを理由として婚姻相手が決まるほど優先度の高い要素でもないのである。
 そもそも靖世教では、責任を伴わない関係の末に無計画な出産へ至ったところで、当事者にも、生まれてくる子供にも、その周囲にもろくなことにはならないという考えから、婚前交渉を戒律によって禁じている。そうした事情もあり、信者たちは恋愛関係そのものに比較的慎重である。恋愛感情まで否定されているわけではなく、否定したところで人が誰かを好きになることまで止められるものではないということは、甘寧自身もよく理解している。そのため彼女も、「手を出すからには、一生大事にしなきゃ駄目だよ!」などと、いつもの笑顔で説いているという。
 なお、その甘寧本人については、公式に処女であることが明言されている。
 そうした社会的、宗教的な下地もあって、劉陽と沈琰もまた、婚姻以前から交流を重ねていたわけではない。2人が初めて互いの顔を見たのは、ほかならぬ自分たちの結婚式当日のことであった。

 聖職者の愛娘と聞けば、世間一般には、貞淑でおしとやかな良妻賢母といったわかりやすい人物像を想像されがちである。だが沈琰は、そうした印象とはかなり縁遠い女性だった。幼い頃から活発で気が強く、周囲からはいわゆる「お転婆」と評されて育っている。
 もっとも、靖世教そのものが女性に過度な清楚さや内向きな生き方を求める宗教ではないため、そうした性格が教義上の欠点と見做されることもない。何しろ教祖たる甘寧自身が、誰よりもよく喋り、よく動き、物怖じせず周囲へ働きかける人物なのである。ただ、父親である沈懐としては、親心として「もう少し大人しく育ってくれてもよかったのだが」というのが本音ではあったらしい。
 沈琰の物怖じしない態度や、思ったことをはっきり口にする物言いも、幼い頃から憧れていた甘寧の立ち居振る舞いを、自分なりに真似ながら育った結果という面がある。これは志が高いとも評せる反面、教祖たる甘寧の振る舞いを自らの範として真似ようとすること自体、靖世教徒にとってはいささか畏れ多い話ではある。そのため沈懐としても複雑な思いはあったようだが、娘が敬慕ゆえにそう振る舞っていることを強く咎めることまではしなかった。
 とはいえ、甘寧がそのような性格であるからといって、靖世教における女性の模範像まで彼女と同じである、というわけでは流石にない。甘寧の言動が成立しているのは、その卓越した才覚と実績、判断力があってこそであり、中途半端な才覚の持ち主が表層だけをなぞったところで、傲岸不遜な物言いばかりが目立つことにもなりかねないからである。
 幸いなことに、沈琰が甘寧から範としたのは、そうした独善的な強さではなく、快活さや物怖じしない振る舞いのほうに重点が置かれていた。そのため、妙に小賢しく他人を言い負かそうとするような性格へ傾くこともなく、沈懐もまた、自分の好みを娘に被せる形で無理に矯正しようとはしなかった。

 そうして育った沈琰は、物静かな夫である劉陽とは見事なまでの対照をなしている。とにかく口数が多く、話している最中の身振り手振りも大きい。思ったことがそのまま表情や言葉に出る、感情表現の素直な女性であり、裏表のある駆け引きを好む性格でもない。気が強く、言いたいことははっきり言う一方で、性根そのものが善良であるため、直言が過ぎて周囲と揉め事を起こすようなこともほとんどない。このあたりは、幼い頃から憧れてきた甘寧の薫陶よろしく、沈琰が身につけた美点の一つと言えるだろう。
 自分が美人であるという自覚もかなり素直に持っており、それをわざわざ謙遜して隠そうともしない。劉陽との婚礼の日、初めて夫となる男を前にした彼女は、「こんな美人をお嫁さんに出来たんだから、旦那様は神様に本当に愛されてるねぇ」などと、楽しげに言ってのけたという。沈琰としては、要するに「これほど良い妻を与えられたのだから、それだけあなたは功徳を積んできた立派な人なのだ」と、初対面の夫を最大限に持ち上げているのである。
 ところが、女性に対してかなり純朴であった劉陽には、いささか刺激が強すぎたらしい。しかも当の沈琰が実際にひどく美しく、劉陽自身もその姿にすっかり見とれてしまっていたため、気の利いた返事など思いつくはずもなく、「あ、はい」と答えるのが精一杯だったという。
 そんな夫の反応を見て、沈琰はさらに、おどけた調子で「イェンも、真面目に生きてきた甲斐があったと思ってるんだよ?」と続けた。もちろんこれは、「自分のほうだって、こんな好みの美男子を旦那様にできて嬉しい」という意味である。ところが、その含みは劉陽にはまるで伝わらなかったらしく、彼は至って真面目な顔で「それは、素晴らしいことで」と返した。沈琰がこれまで真面目に生きてきたことそれ自体を、純粋に褒めたのである。

 夫婦生活においては、沈琰が楽しそうに喋り続け、その傍らで劉陽が穏やかに相槌を打っているというのが、ほとんど日常の光景となっている。劉陽は別に口下手というわけではなく、必要なことはきちんと言葉にできる。ただ、元来それほど饒舌な性格ではないというだけである。沈琰としては、そんな夫について「父君みたいに、喋りすぎだって叱らないから大好き~」とのことで、他愛もない話であろうと、ただ自分が話したいと思ったことを嫌な顔ひとつせず受け止めてもらえるだけで十分に嬉しいらしい。
 劉陽の側も、多くの言葉を返すわけではないものの、妻の話を退屈そうに聞き流しているわけではない。その表情や相槌から楽しんでいることは十分に伝わってくるため、沈琰にとってはそれで何の不足もないのである。
 客観的に見れば、沈琰は仁師として日頃から信者たちの悩みや相談に耳を傾けることを仕事としている反動もあってか、私生活では話を聞くより、自分が話す側でいたいという欲求がかなり強い女性である。そうした性格は、相手によっては少々持て余されるところもあるだろうが、劉陽は妻が楽しそうにしているのであれば、それを見ているだけで自分も楽しいという性格の男だった。結果として、2人を結びつけた責任者の慧眼が光る組み合わせとなっている。
 沈琰の趣味は園芸であり、自ら丹精した草花を育てることを好んでいる。そして、その成果物を劉陽が書画の題材として描くことも多い。妻が育て、夫が描く。そのささやかな営みは、2人の良好な夫婦関係を象徴するもののように、本人たちからも周囲からも受け止められている。


●《不倒卒(ウンフェアヴュストリヒャー)》畢朝(ビー・ジャオ) 明遠(ミンユエン) 704~
 
 僧兵2/闘士7/神寵者1
 筋力14/敏捷力11/耐久力19/知力10/判断力13/魅力14/PB35

 畢朝は、靖世教国の聖戦団《捐躯》隊に属する兵士である。これまで幾度となく先駆けとして最前線へ投入され、そのすべてから生還を果たしてきた歴戦の猛者として知られている。

 勝利と引き換えに壊滅的な損害を被ることも珍しくない聖戦団にあって、この戦歴は異常と呼んで差し支えない。そもそも聖戦団へ送られた者の多くは、初陣でそのまま命を落とすか、あるいは苛烈な戦場から生還したことを契機として、憑き物が落ちたように「病気」から快復し、社会へ復帰していくのが常である。何度も先駆けを経験するほど長く在籍する者となれば、通常は勤労や1度2度の奉仕では到底贖いきれないほど大きな咎を背負った大罪人くらいしかいない。
 では、畢朝もまたそのような大罪人なのかといえば、そうではない。無論、清廉潔白な人物であったというわけでもないが、それでも幾度となく死地へ投じられ続けなければならないほどの罪を犯したわけではなかった。
 彼が聖戦団へ配されることになった直接の理由は、友人の婚姻を妨害したことである。そして何より問題とされたのは、その行為についていつまで経っても贖罪の意思を示そうとしなかったことだった。靖世教の判断において、それは咎の重さ以上に、彼がいまだ「病気」から快復していないことの証左なのである。

 
 もっとも、これを靖世教の価値観から離れ、外部から客観的に説明するならば、話はずっと理解りやすい。畢朝には、長年にわたって相思相愛であった幼馴染の女性がいた。その女性が別の男との婚姻を差配されたことを受け入れられず、彼は駆け落ちを目論んだ。そして現在に至ってなお諦めておらず、虎視眈々とその機会を窺い続けている。ただ、それだけの話なのである。
 畢朝は仁師の家庭に生まれ、闊達で身体も頑健な少年として育った。周囲からは将来有望な神兵になるものと期待され、その成長ぶりにも特段の問題はなかった。そうした彼にとって、後に人生そのものを大きく狂わせることになる薛愛への想いは、言うなれば唯一の瑕疵であった。

 幼馴染である薛愛とは、互いの関係を明確に定めるような言葉を交わしたことも、恋人同士であると公に示すような態度を取ったこともなかった。それでも、幼い頃から長い年月を共に過ごす中で、互いに確かな繋がりを意識できるだけの関係を連綿と紡いできた。婚姻に至るまでは節度ある距離を保つことを当然とする靖世教徒においては、それ自体は決して珍しくもない、ありふれた恋愛関係の一つである。
 そして、この関係が畢朝の一方的な思い込みに過ぎなかったというわけでもない。薛愛の側にも同様の慕情があったであろうことは、当時の2人を知る周囲の者たちも、おおむね事実として認めるところであった。
 ただし、それはあくまで過去の話である。今となっては、すでに別の相手と婚姻した薛愛に対し、かつて畢朝を慕っていたのかと改めて明言させるような機会などなく、周囲もまた、その事実をわざわざ確認しようとはしない。靖世教社会において、婚姻以前に想い合っていた者同士が別々の相手と結ばれること自体、殊更に珍しい出来事ではない。これもまた、「よくあること」なのである。
 靖世教徒にとって、その程度のことは決して珍しくない。過去に誰かを慕っていたとしても、教団の差配によって別の相手と結ばれたのであれば、新たに与えられた縁を大切にし、その家庭を築いていく。それが当たり前なのである。そして、その当たり前をどうしても受け入れられない以上、靖世教の価値観において畢朝はやはり「病気」なのであった。

 
 実際、彼の薛愛への恋慕は今なお消えるどころか、かつて以上に激しく燃え続けている。聖戦団へ送られ、幾度となく死線をくぐり抜けるたび、その想いは薄れるどころか、むしろ執着の度合いを増していった。薛愛とは確かに相思相愛であった――その「事実」に縋りつくことが、今や畢朝にとって生へ執着する理由そのものとなっている。
 傍目から見れば、それはもはや悲しき妄執と評するほかない。彼は薛愛への想いがあるからこそ死地から生還し続け、そのたびに想いをさらに募らせる。そして、その執着を捨てられないがゆえに「病気」から快復したとは認められず、聖戦団から解放されることもない。相思相愛であったという過去の事実を生きる支えとしながら、その事実に縋るがゆえに永遠に咎人であり続ける。それが畢朝という男なのである。
 直属の隊長である劉陽もまた、その有様を心から憐れんでいる。彼の目に映る畢朝は、性根の腐った反逆者などではない。ただ、一つの恋情に囚われたまま、幾度死地を越えてもそこから抜け出すことのできない、重い病に苦しむ哀れな男なのである。

 愛ゆえに、人はここまで苦しまねばならないのか――と。

 畢朝の靖世教に対する信仰心は、もはや完全に失われている。彼にとって靖世教とは、愛する者を自分から奪い、その想いを病と断じた邪教にほかならない。その敵意を隠そうともしない以上、教団から見た彼の「病状」が改善したと判断されるはずもなく、聖戦団から解放される兆しもない。
 だからこそ畢朝は、同じく聖戦団へ送られた戦友たちを、自分と同じ被害者として強く意識している。もともと善良で勇敢な気質の持ち主でもあり、激戦の中にあっても、自分独りが生き延びるのではなく、可能な限り戦友たちと「共に生還する」ことに死力を尽くす。戦友を盾にして命を拾うような真似を嫌い、倒れた者がいれば可能な限り助け、退路が危うければ自ら踏みとどまる。つまるところ、思想上の不具合さえなければ、前線を支える兵士としては実に優秀な男なのである。
 とりわけ異常なのは、その生存力であった。戦闘技量が高いからといって、幾度となく先駆けへ投入され、そのたびに壊滅的な戦場から生還できるものではない。そこには技量だけでは説明できないほどの武運がある。劉陽をはじめとする周囲の信者たちも、畢朝が何らかの形で神より特別な加護を受けていること自体には疑いを抱いていない。
 それほどの武運を与えられながら、なお靖世教を邪教と罵り、信仰を取り戻す兆しすら見せない。その有様は、彼らにしてみれば、畢朝の性根が腐っている証ではなく、むしろ「それほどまでに病が重い」という証明にしかならない。実際、戦友を思いやり、危険を恐れず、己の役目にも手を抜かない彼の人柄を知る者ほど、悪人だからそう振る舞っているとは考えにくいのである。だからこそ、あくまで病気なのだと、彼らは一層深く憐れむことになる。

 ――もっとも、その認識は決定的なところで間違っている。

 畢朝の魂は、本人すら気づかぬまま、すでにとある神の領域へと深く踏み込んでいる。薛愛への恋慕を捨てず、他者によって定められた婚姻を認めず、いつか必ず彼女を取り戻すという執着を、生きる理由そのものとして燃やし続けている。その情念こそ、かの神が何より愛するものだからである。
 今、畢朝に戦う力を与え、幾度の死地からなお生還させ続けているもの。それは靖世教の神ではない。

 
 彼を祝福しているのは、略奪愛の女神なのである。


●薛愛(シュエ・アイ) 慈玉(ツーユー) 705~
 
 信徒3
 筋力7/敏捷力9/耐久力9/知力12/判断力8/魅力14/PB12

 薛愛は靖世教国の愛徒であり、和導・蒯顔の妻である。生まれ育った長楽里では一番の美少女と評判になるほどの美貌に恵まれ、詩文を愛するだけの教養も備えていたことから、幼い頃より将来は良妻賢母となることを大いに期待されて育った。

 性格も素直で心優しく、何事にも奥ゆかしい。他者との関係においては自分を押し出すより相手を立てることを優先し、争いや軋轢を好まない娘であった。その一方、同じ性質を別の角度から見れば、従順でことなかれ主義、主体性に乏しく、他人の意見に流されやすい人物であるとも評価されていた。
 いささか容赦のない物言いにも思えるが、こうした人鑑について靖世教団はかなり厳格である。人の性質や能力を温情で取り繕うのではなく、長所も短所も含めて真剣に見定めることが、その者に相応しい役目や人生を考えるためには必要とされているからだ。それもまた、あくまで「その人のためを思って」のことである。曖昧で恣意的な人物評価によって不適切な役目や環境を与えることこそ、当人と周囲の双方を不幸にするものと考えられている。

 
 そうした評価の中でも、薛愛について特に強く「心配」されていたのが、その気の弱さと変化を嫌う気性であった。穏やかな環境の中で周囲に支えられて暮らすぶんには何の問題もない一方、強い決断を迫られたり、それまでの日常が大きく揺らいだりした際、自らの意思をもって状況に立ち向かうことには大きな不安があると見られていたのである。

 
 薛愛と畢朝は同郷であり、しかも隣家同士の幼馴染であった。2人が互いに想い合っていることは周囲も認めるところで、幼い頃から「いずれは夫婦になるのだろう」と、その将来を微笑ましく期待されていた。
 薛愛にとって、1歳年上の畢朝は、家族や親類を除けば物心ついた頃から身近にいた最初の異性であり、そのまま最も親しい異性でもあり続けた。幼い彼女は当然のように畢朝へ懐き、成長するにつれてその親愛は明確な慕情へと変わっていった。少女と呼ばれる年頃には、いつか自分が彼のもとへ嫁ぎ、妻となって暮らす姿を思い描くことさえ珍しくなくなっていた。

 
 一方の畢朝もまた、薛愛が心を寄せることを誰も不思議には思わないほどの俊英として知られていた。快活で人品もよく、何より武の才に恵まれた少年であり、薛愛だけでなく、同郷の娘たちの多くから憧れの対象とされていたのである。そのうえ薛愛自身も、隣家というこれ以上ないほど近しい環境にあり、際立った美貌を持ち、他者を害するような意地の悪さとも無縁の娘だった。傍目には、2人の未来などとうに約束されているかのようにさえ見えていた。

 だが、その未来には成長とともに大きな齟齬が生じることになる。
 畢朝が、あまりにも優秀過ぎたのである。

 彼は武技において同期を圧倒する才覚を示し、人品についても高く評価された。武へ邁進することに多くを費やしたためか、教養の面では特に秀でたものを持たなかったものの、それを差し引いてなお余りある逸材であり、やがては同郷の誇りと呼ばれるほどの若者へ成長していった。こうした人材ともなれば、その縁談を地元の有力者と聖職者が合議で執り仕切るという一般的な段階を越え、より広い視野から教団が将来を差配する対象となる。それが靖世教国における「普通」であった。
 そして、その基準に照らしたとき、薛愛は畢朝と同じだけ高い評価を受けてはいなかった。勉学については相応の水準に達しており、美しく、善良で、家庭を築く相手として十分に魅力的な少女ではある。だが人物評価を総合すれば、気が弱く、主体性にも乏しく、変化に対する耐性も低い。将来、教団の精兵として過酷な任務へ赴き続けることがほぼ確実な畢朝の妻となり、その生活を十全に支え続けられるほどの女性ではない――というのが、教団の下した評価だった。

 
 無論、それは薛愛を劣った女性として切り捨てる判断ではない。むしろ教団は、彼女には彼女の性質により適した相手を選び、それに相応しい穏やかな生活を用意することで幸せにしてやるべきだと考えた。危険な任務へ赴き、いつ帰還できるのか、それどころか2度と帰ってこないのかもしれない夫を待ち続ける生活など、薛愛の気質からすれば、いずれその心を壊しかねない。畢朝と引き離すという決定そのものが、教団にとっては彼女の将来を案じた末に示した愛情なのである。

 
 そして薛愛には、その「愛情」を拒絶してまで己の望みを押し通せるほどの意志の強さなど、到底望むべくもなかった。胸の内では絶望し、長年思い描いてきた未来を失った悲しみに打ちひしがれながらも、それを周囲へ叩きつけることも、教団の決定へ反旗を翻すこともできない。結局、彼女は表面上は唯々諾々として、その差配に従ったのである。

 畢朝が薛愛の婚姻に強く抗議し、その末に更生施設へ送られたことを、当の薛愛は知らない。畢朝本人を除けば、彼女にその事実を知らせる必要があると考える者が誰もいなかったからである。すでに縁組が定められた薛愛に、過去の想い人がその決定を受け入れられず問題を起こしたなどと告げたところで、心を乱し、余計な罪悪感を抱かせるだけでしかない。それは彼女のためにならない、というのが周囲の共通した認識であった。

 
 その後の薛愛は17歳で蒯顔のもとへ嫁ぎ、現在では3児の母となり、かつて周囲から期待されていた通りの良妻として振る舞い、家庭を守りながら平穏な日々を送っている。
 もっとも、婚姻したばかりの頃は、畢朝に対する罪悪感が無かったわけではない。いつか彼が帰郷し、自分の前へ現れるのではないかと想像しては酷く怯えていたという。だが結婚して以来、畢朝が長楽里へ帰ったという話をついぞ耳にすることはなかった。そうして夫との暮らしと子育てが日常となり、長い年月が積み重なるうちに、彼がなぜ帰ってこないのかということ自体、今の薛愛にとっては特に疑問を抱くようなことでもなくなっている。


●蒯顔(クワイ・イェン) 子和(ズーホー) 699~
 
 聖職者7
 筋力8/敏捷力8/耐久力8/知力15/判断力11/魅力13/PB14

 蒯顔は靖世教国の和導であり、戦死者を祀る昭忠祠に務める祝史である。祝史とは、様々な祝禱や祭祀を直接執り行う聖職者に与えられる役職名であり、彼の場合は靖世教に数多く存在する祠の中でも、特に戦没者を祀る昭忠祠において、葬儀や鎮魂の儀式を取り仕切る実行責任者の立場にある。

 人柄は温和で物腰も穏やか。痩せぎすの体格も相まって、いかにも文弱の徒といった風体をしている。幼少期から勉学には優れていたものの、肉体的には頼りないところが明らかであったため、早い段階から武ではなく文官としての教育に専念させられた。
 教団による人物評価では、決断力に乏しく、突発的な状況へ自ら判断を下して対処することには不安がある一方、想定外の事態があまり生じない職務であれば、極めて効率よく、迅速に仕事を処理できる人材と見做されていた。礼節を重んじ、慈悲深い性格でもあり、その穏やかな人柄は顔つきにもよく表れている。痩身が与える印象はいささか頼りなくはあるものの、そもそも肉体的な頼もしさや果断さを要求されない職務へ就けるのであれば、それは大きな問題にはならない――というのが、若い頃の蒯顔に対するおおむねの評価であった。

 実際のところ、その見立てはかなり正確だったと言ってよい。祝史となってからの蒯顔は極めて優秀な実績を示し続け、今では単なる「書類仕事の上手な人材」という程度では片づけられない評価を得るに至っている。
 昭忠祠という任地は、仕事量の振れ幅が極端に大きい。平時であれば葬儀の数も限られ、日常の祭祀や記録整理を除けば比較的静かな時間が続く。一方、大規模な戦闘が起これば事情は一変し、短期間に膨大な数の戦没者を受け入れ、それぞれについて記録、祭祀、遺族への対応、遺品や遺体の処置を滞りなく進めなければならない。
 そのような状況において、蒯顔の管理能力は図抜けている。周囲の祝史たちと同じ仕事をこなしているはずなのに、処理の速度が明らかに違うと評されるほど、その差配は迅速かつ正確である。
 もっとも、葬儀という職務は、忙しさこそ大きく変動するものの、完全な意味での想定外は比較的起こりにくい。身元不明者、損壊した遺体、遺族間の意見の相違、遺品の処遇、同時に大量の死者が発生した場合の優先順位など、個々の案件に応じた判断が必要になることは珍しくないものの、その大半は長い歴史の中ですでに何らかの形で経験され、「起こり得る問題」として整理されているからである。
 蒯顔がとりわけ優れていたのは、そうした既知の問題へ定型的に対処する能力だった。記憶力に優れ、過去の類似事例や判例を瞬時に引き出し、現在の案件へ適用するまでが非常に早い。彼にとって、多くの問題は新たに答えを作り出すものではなく、「以前はどのように処理されたのか」を見つけ出し、それを正確に当てはめることで解決できるものなのである。
 反対に、前例そのものが存在しない完全な想定外へ直面すると、蒯顔は途端に自らの判断を控え、より適切な権限や能力を持つ者へ決定を委ねる。これもまた、結果的には彼の長所となっていた。蒯顔は自己評価が低く、自分自身の判断をあまり信用していない。これまで正しく処理されてきた方法があるならば、それに従えばよく、そこから自分の判断だけで外れることを極端に嫌う。
 その姿勢を徹底した結果、蒯顔の仕事は「期待を良くも悪くも裏切らない」ものとなった。誰も思いつかなかった解決策を示すことはない代わりに、既知の問題であれば極めて高い確率で、迅速かつ適切に処理してみせる。昭忠祠のように、膨大な数の死者と遺族を間違いなく扱い続けること自体が何より重要な場所において、その性質は得難い才能として高く評価されている。

 
 妻となる薛愛とは、同じ長楽里の出身である。6歳年上の蒯顔は、彼女が生まれた頃からその存在を知っていた、いわば近所の兄貴分にあたる人物だった。ただし、一緒に遊び回るにはやや年が離れていたこともあり、幼少期から特別に親密だったというわけではない。顔を合わせれば挨拶を交わし、祭事や飲食の席で、それぞれ親に連れられた子供同士として同席することもあったが、関係としてはその程度のものだった。
 それでも、薛愛の可愛らしさというものは、一目見れば人の心を捉えるに十分なものであり、その点について異論を挟む者はまずいなかった。蒯顔もまたその例外ではなく、成長していく彼女へごく自然に心惹かれていった。誰の目にも魅力的な娘を、自分もまた魅力的だと思う。そう考えると、想定された妥当かつ無難なものを好む彼の性癖は、社会へ出る以前からすでに十分顕在化していたとも言える。
 そして蒯顔は既定路線を好む男でもある。薛愛と畢朝が互いに想い合っていることについても何ら異論はなく、それを押し退けて自分が割って入ろうという気概もなかった。畢朝は薛愛に相応しい優秀な若者であり、若くして挙げていた数々の実績については、蒯顔自身も素直に尊敬し、憧れすら抱いていたのである。
 それでも、自分が薛愛を妻として迎える姿を想像したことがなかったわけではない。むしろ、その先まで思いを巡らせたことも当然ながらあった。だからといって、畢朝から薛愛を奪おうとするほどの積極性は彼にはない。蒯顔が選んだのは、あくまで強引ではないまま、それでも可能性だけは皆無ではない道だった。
 すなわち、靖世教団が薛愛に相応しい伴侶を選定する際、その候補として「自分が彼女にあてがわれる可能性」を残しておくことである。
「あてがわれる」などという言葉は、なんとも色気に欠ける。信徒の平等を掲げる靖世教において、「女は男にあてがわれるもの」という、外の国々ではごく一般的に見られる価値観は、男女の一方を他方へ従属させるものとして否定されている。婚姻の差配を受けるのは男女いずれも同じであり、どちらか一方だけが与えられる側というわけではない。
 そのうえで蒯顔は、むしろ「自分が薛愛にあてがわれたい」と考えていた。いささか自己評価の低さが過ぎる物言いではあるが、それこそが当時の彼にとって、何ら飾るところのない率直な認識だったのである。

 社会的にどれほど有為な人材であるかという評価とは別に、薛愛という少女は、その美貌と温和な人柄によって、誰の目にも分かりやすく魅力的な、いわば宝物のような存在として見られていた。ゆえに長楽里の若者たちの多くが彼女に心惹かれながらも、「俺なんて無理だろうけど……」と半ば諦め混じりに憧れていたのであり、蒯顔もまた、その大勢の中の1人に過ぎなかった。
 だが結果として薛愛の伴侶に選ばれたのは、その蒯顔だった。彼自身も薛愛と同様に変化へ弱いところはあるものの、性質は温厚であり、昭忠祠における職務も、国家そのものが安定している限りは同じように安定し続けることが見込まれている。景気によって職を失う心配も薄く、武人のように任務のたび命を危険へ晒すこともない。変化を嫌い、夫の安否を案じ続けるような生活には耐え難い薛愛にとって、そうした蒯顔の性質と立場は、伴侶として極めて好ましいものと判断されたのである。
 とはいえ、これは蒯顔が周到な戦略を立て、見事に薛愛との婚姻を勝ち取ったという話ではない。教団の有力者へ働きかけて口添えを求めたわけでもなければ、彼が薛愛へ懸想していることを教団が察し、その想いに配慮したわけでもない。ましてや、自らの将来を薛愛との婚姻へ向けて最適化した結果でもなかった。
 生来体力に恵まれなかった蒯顔は、武によって身を立てることが難しい以上、勉学に励み、文官としての道を歩むほかなかった。ただその結果として身についた性質と立場が、彼自身はそこまで深く知ることのなかった薛愛の内面的な脆さと、偶然にもよく噛み合ったのである。要するに、蒯顔と同じように薛愛へ想いを寄せながら、畢朝というあまりにも強い相手を前にして、あとは運を天に任せていた同郷の若者が大勢いた。その中で、結果として蒯顔だけが特筆に値する存在となった、というほうが実情には近い。

 蒯顔は、薛愛を巡る一連の流れの中で、畢朝が婚姻の決定に強く抗い、騒動を起こしたことについてもある程度は知っている。無論、それを薛愛へ話すことはない。教団の判断としても、今さら彼女に知らせる意味はなく、蒯顔自身も同じように考えている。
 ただし、その事実を知っているがゆえに、彼の心中には拭いきれないものが残った。自分より遥かに優れ、若い頃から強い敬意さえ抱いていた男の手から、宝を掠め取ったかのような昏い優越感が、確かに自分の中に湧いたことを知っているからである。

 
 蒯顔自身は、薛愛を畢朝から「勝ち取った」などとはまるで思っていない。自分が競い勝ったわけでも、何かを成し遂げた褒賞として彼女を得たわけでもない以上、むしろ畢朝に対して申し訳なさを覚えるべきなのだと、理性では理解している。それにもかかわらず、薛愛を妻として抱いたとき、その幸福の中に愉悦にも似た感情が混じっていたことを、彼は自覚していた。それが強い罪悪感となって、今も心に残っている。
 婚姻した当初の薛愛は、心ならずという様子を必死に取り繕いながら妻として振る舞っていた。蒯顔にもそれは理解っていたし、それでも夫婦として彼女を求めたことが、また一つ葛藤を増やした。幸い、程なくして妻のぎこちなさは薄れていった。その変化に安堵すると同時に、「畢朝ではなく、自分の妻になっていく」という事実へ清廉とは言えない満足を覚えてしまう自分もいた。まして薛愛が自分の子を身ごもったときには、その感情はいっそう強くなった。
 長年かけて身につけてきた良識は、そうした自分の感情を見逃してはくれない。それは蒯顔の長所であると同時に、彼自身を苦しめるものでもあった。靖世教国の常識に照らせば、自分たちのような夫婦は何一つ珍しくない。教団が互いの適性を見定め、より幸福に暮らせる相手を選んだだけであり、理性はそれを当然のこととして受け止めるべきだと告げている。感情の側でさえ、長く求めていた女性を妻として抱き、子を産んでくれる人生に、充足を覚えて当然だと訴えている。
 それでも蒯顔の中には、「これは既定路線ではない」という、ほとんど呪いのようなこだわりが残り続けている。
 仕事であれば、前例のない問題に出会ったときは、自分より適切な者へ判断を委ねればよい。だが、自らの人生に入り込んだこの「例外」だけは、誰かへ引き渡して処理してもらうことができない。蒯顔はその宿痾から少しでも目を逸らしたいという思いから、いつしか心のどこかで、自らの手によって畢朝の葬儀を執り行う日が来ることを待ち望むようになっていた。
 聖戦団という場所に送られた者なら、普通は早々に命を落とすか、死線を越える中で病から快復し、やがて社会へ戻っていく。それなのに畢朝は、一向に昭忠祠へ送られてこない。その事実は、蒯顔の精神を少しずつ苛み続けている。

 ――畢朝はまだ薛愛を愛し、生きているのだ……!!
     
  ■WEB拍手

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  1. 50>ドラグナーもそうだがだいたい大張のせい
    プロパガンダ!
  2. >23 揖保乃糸とそれ以外がどう違うのか気になって「細さだけじゃね?」と思って、試しに似たような細さの安い麺を買ってみたら違いが分からなかった自分。バカ舌なのかどうかはさておき、安上がりで高級品と同じ満足感を味わえちまうんだ!
    次はトップバリュを試すんだ!
  3. >43 数十分どころか十数分でも段違い。まったく動かさないのと、少しでも動かしているのとでは本当に違う…と運動不足になって実感しました。
    俺、運動不足だった頃の不都合は特に感じなかったが、それはそれとして「こんな簡単に筋肉ってつくんだな」と驚いた(笑)
  4. >49 TLのみんなはサンドバッグを求めてるんだ…。まぁ本当に酷いところがあったのは事実ですが、一応ちゃんと遊べますよ。とりえあずもっと不思議までの一発クリアを達成したぜ! 50階や99階は面倒すぎて無理です…。
    基本的に一度死んだらすべてを失うタイプのゲームが苦手だから手出しできないんだよな(笑)
  5. a. >68 adoに興味がなかった自分、数年くらいaboだと思っていた。アボじゃなくてアドだったのか…。
    b. 68>さすがにそれは違うとわかるだろ…   DAIGO(マルチタレント;竹下登の孫)とDaiGo(あやしいメンタリスト)とDaigo(ゲーマー梅原大吾)は実に紛らわしいが
    c. >68 10年ほど前のアニメでOPを「LiSA」、EDを「ELISA」が歌唱していたときはちょっと混同した。あと基本的にはそのまま通じるだろうけど、「LiSA」で表記しないと別アーティストと勘違いされる可能性もちょっとある
    ダイゴはマジで紛らわしい(笑)
  6. >73 クレアの解釈がさらにテレサを最強にしていたってのも実にいいですね。そりゃ素のテレサがあそこまで強かったら流石にインチキだ。
    だがテレサが同じ時間経過してたらやはりあれくらい強かったであろう!!
  7. >33 関西だと30数年前に地上波でトランスフォーマー・ザ・ムービーの吹き替え版放送してましたね。ちなみに1ヶ月ほど前にその英語版でのコンボイ司令官ことオプティマス・プライムを実写も含めて40年以上演じられたピーター・カレン氏が死去されました。軍人だったお兄さんから「優しくなれるだけの強さを持て」という助言をオプティマスの演技に反映されていたとの事で、雄々しさと父性を併せ持つ御声をもう聴けなくなったのが残念です。
    昔のテレビ放送でしか観れない吹替版はほんとにメンフィス・ベルがまた観たい。
  8. 結局問題のコメ主がどうなったのかだけ気になる。それっぽい謝罪コメントが掲載されてないってことはブラックリスト行きかな
    あ、忘れてたんで今入れてきた。常々不思議なんだが、今更このサイトを見てるような愛すべき古参兵が、なんでこんなつまんないことして決別したがるんだろう。俺は悲しい。
  9. 31>帽子かぶって下駄はいて……とはよく言われていたな(笑)
    番長!
  10. >>67 ドラクエは基本として主人公=プレイヤーの分身で喋らん上に、特に古い作品はストーリーも薄目だからアニメとかは中々難しいんだと思われる。
    その辺を好き勝手盛りまくるのが昔のアニメ……いやうん、アニメ化しなくてよかったな。
  11. 36>アニメは方々で批判されているが「DBZのように前回の振り返りが長い、CM明けも少し巻き戻したところから再開、回想シーン(使い回し)が多い」「スキルなどの説明をナレーションでいちいち読み上げる」「セリフや技の発動などでやたらタメが長い(間延び)」「せっかく作ったCGを見せびらかしたいのか街並みを無意味に映しまくる(それなりに綺麗ではあるんだが)」等でとにかくテンポが悪い。 12話まで使ってギルドに押し掛けたキチガイ娘・剣聖マリスをボコるところ(コミック4巻の序盤、29話)までしか行っていない。 女ヒーラーとシカマル(笑)の登場(6巻の49話)はまだ先だ。
    まだメインキャラ出揃ってないのか(笑)
  12. 映画オデュッセイアを観に行く予定の人は原作の通りに犬がヒドい扱いをされて死んでいくので注意(忠犬アルゴスの伝説)。映画館で近くに座ってた人がガチ泣きしてた。
    原作知ってるから辛い(笑)
  13. 木花香穂律衛爵> 演技系ギャップ萌えキャラか・・・と思って読んでたけれど、いやこれ最初から最後まで本人は素のままだな!? ってなった。 そういや神寵者って心意気とか生き方が神様から特に気に入られてる、みたいな感じだと思ってたんだけど、普通の信者と比べて強くなりやすいとかってあるのかしら。 レス不要
    露骨な贔屓で様々な加護がバカスカ降ってくるんで無自覚にいきなり強いよ(笑)
  14. 「遊星からの物体X」の犬が怪物化するようなシーンはギリOKですか?
    基本的に「どこまでOKかどうか」はもう「犬がひどい目に遭うやつは全部駄目」です。別に生理的に無理で絶対楽しめないとかじゃないけど、チキンレースはしなくていい、という意味で(笑)
  15. 「犬が死なない話」となると、南極点初到達者・アムンゼンの伝記は絶対読めないですね
    子供の頃に南極物語が辛すぎて「二度と観たくない」と思った(笑)
  16. いっそゴッドタイガー公式キットで出して欲しい …………価格凄い事になりそうではあるが
    でかあああい!!
  17. >71 inetpub そんなフォルダあったっけ? と思って見てみたら、中身スッカラカンのフォルダがあった、気付かんかったわ~
    いんぽてんつ
  18. >3 そういえばイクサー1も百合アニメだったなぁと記憶してた。当時からしたら異端だったんだろうなぁとか考えたりする。
    エロアニメならあったな(笑)
  19. ポートピア連続殺人事件のリメイクが出るそうですが、犯人の名前が有名になってしまった以上何を目的に捜査をすればいいのやら。 URL
    ここまで有名だとなぁ(笑)
  20. 24>グリズリーがレベル6相当。ヒグマの亜種とするとガイアの部下に倒されるレベルで、勇次郎やジャックに倒されたホッキョクグマには及ばない程度か。
    ポーラーベアがレベル7と互角くらいかなー。タイマンじゃなくて4人パーティーなら、レベル4で「程よく強い雑魚」。
  21. 22>そしてカプル&コレンカプルの実装。正歴が宇宙世紀として扱われているのかオルタナティブのゲスト参戦として扱われているのか良く分からないが、前者なら希望が広がる。流石にキャノン・イルフートなんかは無理でしょうが。
    性能ぜんぜん違うから別もんだしなぁ(笑)
  22. 38>ジオン側でプレイした時に「連邦の戦闘機割と強くね…?」となるのはシリーズ恒例行事ですね。自分で使うと「連邦の指揮官と艦船も強くて、よくジオンはルナツーとサイド7以外占領できたな!」となるところまでがセット。
    全シリーズプレイしたけど、新ギレンの野望がマジで強くてストレス過ぎてゲーム辞めたレベル(笑)
  23. 70>具体的にどの番組か失念しましたが(多分スーパーマリオクラブではない)、当時のゲーム紹介バラエティで盛んに最新機種として紹介されていたのを覚えている。
    ただいまPCランド!
  24. 42> アメリカ海軍の空母ミッドウェーなんて近代化改修でのドック入り以外、ずっと現役だったり意外と持つんだよなぁ艦船。横浜の氷川丸も、その気になったら動かせそうだし。 by クレイモウトの兄
    あいつも40年近かったな!
  25. 大佐がガンプラ以外で作れそうなスケールモデルって何かある?スナップフィットなら何とかなりそう? by クレイモウトの兄
    「作れそうな」はともかく「作りたい」のはないな(笑) 特に塗装が求められるのは絶対無理。素組なんてしてもみすぼらしくて申し訳ないし情けなくなるから。
  26. 大佐、ごめん。ちょっとここで愚痴らせてくれ。FGOのハロウィンイベント、総じて面白かった…だけど、ここまで積み重なったFGOの歴史が素直に楽しめなくさせる。ヤン・ジュシカは名将だと思う。それは認めるし、あの時代に勝ち筋を見つけつつ火薬の調達保管もできたことも含め将としてトップクラスだと思う。けど、既にカルデアにはイスカンダル、オデュッセウス、孔明、仲達、ナポレオン、実装こそされていないけど韓信と人類史上最高クラスの軍事指揮官がいて、ヤンができるならこのメンツもできて当たり前だろうと思ってしまう。妖術や魔術、神秘がない時代の指揮官だからしゃーないとも理解してるけど、兎に角モヤる。それに、カルデアの防御が「聖杯クラスの魔力リソース持ったトップクラスの軍略持ちが本気で攻撃仕掛けたら確殺される」前例はあんまり宜しくないでしょ…という。長く積み重ねた結果、あの時はこうだったのに、あのキャラはそうのはずではが増えてしまって辻褄が。これされると、第二部五章のオデュッセウスはやっぱただの舐めプでなってしまい…嗚呼。
    ああー、俺人狼が好きじゃないから今回ストーリー全スキップしてた(笑) だが、ここに書いてる愚痴だけで「うんうん、それはFGOが悪いね。じゃ、一緒にイスカンダル最強と叫ぼうね?」となった。FGOは人材あり過ぎて話をまともに作れないよ、どう考えても。
  27. 治水対策が進むと危険だった場所が宅地開発されて、より被害が増す。そういう場所の開発を規制しないと無理って書いてた本を読んだのが大学の図書館だから、15年くらい前。正に書いてた通りのことが起きてる。じゃあ一定面積以上は浸水対策を義務付けたら、今度は小分けにして開発するのが不動産業者だとも書いてました。
    千葉のえらいことなりっぷりがすごいよなー
  28. 宝くじは1枚だけ買って、当たったらどうしようかなー、という妄想を楽しむもの。300円で夢を買えるとなれば、コスパはなかなかのものだと思う。
    TCGのパック買うときの心境だ(笑)
  29. 海外の軍事評論家からは、日本の海自の調達計画は素晴らしいって絶賛されてますからね。いやアメリカがダメすぎただけやろ(笑)。マジでアーレイバークしか無いし。とは言うものの、人手不足は深刻でロクに休み取れないし、どうせ同じように船に乗るなら民間船の方が給料良いし、休みある。しかも民間船も人手不足で引く手あまたで、流出が止まらないらしいですからね。そして刑務官もなんですが、スマホ使えないのが募集上のネックになっていて、更新は順調でも人が追いつかない可能性のが高いんですよねえ…。
    人が、人が足りねぇ!!
  30. 67>逐一変更するのが面倒なのでしょうが、アベル以外防具の変更が一切なかったのが寂しかった。武器は仲間も度々変わってたのですが。
    あー、FF7とかのゲームがポリゴン化したときに「まぁ装備はいちいち変わらんよなぁ」とさみしくなったのと同じ(笑)
  31. 50>第四次スパロボ(SFC)のCMで「たおせ てきを」で謎のオーラを纏っているダンクーガの勇姿にグッと心を掴まれました。
    あれ、当時の「ダンクーガのファンのお姉様」が「忍がテレビに出てる!?」と奇襲されて歓喜したらしい。
  32. 1個3000円でランダムなのは困るな……  URL
    ……まぁ、じゃないと阿良々木くんはフィギュア化してもらえんかったろうしなぁ(笑)
  33. ダンクーガの合体についてと、このサイトの事を考えていたら、よくわからないロボット設定が浮かんでしまった。4機合体ロボで、人型ロボ(美少女型)を中心に2機の走行メカが足になり、1機の飛行メカが眼鏡に変形して合体する。「靴履いて眼鏡かけただけじゃん」と揶揄されるが、4機合体しないとスーパーパワーが出ない。ああ、3機のうちどれが眼鏡になるかでフレームデザインが異なり、能力が変化するのもいいなぁ。靴にも眼鏡にも変形できる機体ってゲッター線使わないと実現できなそうだけど、ゲッター線での合体なら合体時に服も変化できそうだからちょうど良いかな?3形態だと少ないから、足の左右違いでも服装と能力が変わる(4体合体6変化)にすべきか?(寝不足でちょっと頭腐ってます) by エトピ
    ゲッターの力は無限だからな
  34. 『やべー怪異が共生してる社会』という事を踏まえてこの娘さんの手紙を待つ男を見ると、人間の顔の皮を剥いで張り付けてるように見えてしまう罠……
    どんな怪異かは全部「見て想像しろ」だから、色々怖いよな(笑)
  35. ローカル線は被災したら廃線コースって書いてたら、久留里線が被災。久留里から上総亀山間が再開見込み立たずなんですが、元から廃止予定区間だし繰り上げて廃線でしょう。まあ、久留里線はローカル線だから良いとしても、やばいのが内房線。復旧が年内間に合うかどうかレベルで通勤通学に凄まじい影響が出そう。バス代行輸送で吸収しきれるか怪しいし、不通区間はバスだと2時間半かかるという。
    見事に母親の病院へのルートがぶっ潰れました(笑)
  36. 53>離島でもなく本土内で電波の届かないところってあるのか
    木更津から南はもう駅の周りしか電波がねぇ!(笑)
  37. EZYよりはかっこいいだろうか  URL
    頭以外は好き。
  38. >ゴブリン雑魚扱い 何度公式から説明されても擦られてるあたり、やっぱり整合性としてはおかしな事になってるんだろうなぁとは。近所にクマが出るから野犬くらいなら安心、とはならんよ…。
    お互い「これで納得できるでしょ!」「できないよ!」「しろよ!」「無理!」で平行線(笑)
  39. 7.>>(あげてた側が言う話じゃないが)プレゼント攻勢の弊害だなぁそれ…バンダイの売り方が悪いのはごもっともなんだが結局買えなきゃ負けの戦争だもの。実際今回なんてこれでも結構甘い方で、せめても経験からの戦術や撤退術でも携えてればかなり勝率上げられたんですよ。ワダツミさんだってこれがMTGパックとかの話だったら極力負けない経験則だって負けで済ませない購入戦術だってあるでしょ?という話。いちおう言っておくと自分は普通に全勝。当然。…こればっかはワダツミさんと違って「これまでワダツミへのプレゼントを用意してきた」無茶経験で鍛えられてるからね…
    いやいや、流石に「どうせ貰えるから」とかまでは思ってない! そんな失礼なことまでは!!(笑)
  40. こんなのいたっけか  ドラグナーも内容忘れてきてるからまた見直さないとなあ…… 特にグンジェム隊のあたりと終盤はよく覚えてるんだが  URL
    終盤に主人公が交代して滅茶苦茶面白かった……という記憶だけある(笑)
  41. 20万かー URL
    ルンバみたいな土台が動いて家を移動できるまでに進歩して欲しい
  42. 戦国ランス、エロなし  URL
    あとからエロパッチが別途配布されるそうで(笑)
  43. >51 悪魔という存在は星渡りの民が地球から連れてきたのだ!(ファンタシースター脳)
    紀元前からの敵である(笑)
  44. 9>頭のおかしい機体も使えるのがバトルシリーズのウリですしね。アプサラスⅠとかヨルムンガンドとかGブルとかキャトルとか。
    比喩抜きでほんとに頭おかしいよなその辺(笑)
  45. 量産型EVAみたいなのは初めて見たわ  URL
    馬上槍試合特化のやつな。前傾姿勢での視界しか考えてない。
  46. 14>「ダンクーガノヴァ」は元々ゴーショーグンの新作の予定で脚本も首藤剛志を呼んだのに、急にダンクーガになったので首藤氏も困惑して「あまりよくわからないまま書いてしまった」と漏らしたとか。 監督が大張正己に決まったのもかなりギリギリなど制作体制にだいぶ問題があったようで、あんなダンクーガの名を冠しただけのトホホ作に…
    そんな大雑把な展開してたのか(笑)
  47. ノアパパ・理想的な英雄なのですが、スキル構成的にはガチビルドではないのですね。というよりは、元々備えていたサブを深刻な負傷により現役引退してから伸ばしたって感じでしょうか。 ノアママ・みんな大好きロリ巨乳だー! 性悪執事・装魂士ってのは、どいつもこいつも一癖あるやつしかおらんのでしょうか? 最終的に落ち着いたとはえ、親父さんは気性難息子に胃を痛くしていたことでしょう。 ブロック系召喚士・ティアバライト「チャックメイト後のキャスリングはルール違反だ!」とバーン様みたいな愚痴も出ましょう。ダイネタついでに、やはりポップと重なる部分が見受けられますね。己の弱さと対峙し乗り越えて、実戦の中で才能を開花させていったところとか、いざとなれば自身の命すら投げ出してしまえるところとか。 リスキースカウト・彼の経歴を見聞きして、十人が十人「キチガイだ!」と評することでしょう。リスクジャンキーはこれだから。 メイン盾・パーティ最弱との評ですが、最も敵の攻撃に晒される重戦士というポジでありながら精霊触ダメージを軽度に抑えて戦い抜いたってのはバケモノの類では? あとついでに、我らがノア姫・以前の紹介で、姫から貴族(アリストクラート)がなくなっていたのを思い出しつつ。姫ほどに豊穣神の教えを体現する方であっても神寵者にはなれないというのは、本当に選ばれし者たちなのでしょうね。もしくは、なまじ貴族として生まれ理想的に育ったがゆえに信仰一本に絞った生き方が不可能であるからでもあるのでしょうか。
    あ、ノアパパのクラス構成間違ってました。正しくは「貴族5/武人2/刈入騎士8/君主2」で、その上でもお察しの通り、貴族1と君主2は戦後伸ばしてます。装魂士は基本的に我の強さが直結するので、クセが強いやつが多いです(笑) リスキースカウトは間違いなくイカれているね! ラングが精霊蝕を免れたのは、最終決戦で主に竜との直接肉弾戦ではなく、ハンスとともにその取り巻きとの戦いを任されたからです。ドラゴンが単独で戦ってくれるわけないからね! もちろん最終段階では突撃かけてるんで、精霊蝕皆無では済まなかった。で、「昔の設定と今が違う」系の話題は……俺がとても気恥ずかしくなるので許してください!!!
  48. モーニング娘。って97年結成でメンバー替えまくってまだいるのか、2004に安倍なつみが抜けて以降はほぼ知らないが    もはやテセウスの船
    俺はあみたが所属していたグループがまだ健在なことに驚いた。
  49. これでサバゲーだと? なんて愛すべきバカ達だ(笑) URL
    海外は自由で凄いな
  50. ちょこっと拍手にのってた「ブチ切れ令嬢は報復を誓いました」を見て思ったのは、典型的なバカ王太子かと思ったら、勝手に他国に軍事行動起こしたりetcなど、バカを通り越して害悪でした。まともそうに見える国王や宰相もこの王太子を冷遇するだけで、「病死」や「事故死」の選択肢が無い以上結局バカですね。特に王家の権威保持のために主人公に冤罪を被せた宰相(主人公の実の父親)を見ると、「そりゃ主人公ブチ切れるわ」と納得してしまった。
    劉禅より酷い!
  51. Gemini君に「抜刀術ってどういう意図の剣術なの?」って聞いたら、創作物全否定のロマンの欠片もない回答が返ってきました。そうだろうな~とは思ってたけど、現実は世知辛いな(笑)
    併用知って実感してるけど、今んところ、GEMINIが一番平然と嘘つくAIだね。ゴミ。
  52. このシュミレーター使ったら、パイロットのマルチタスクっぷりに驚愕する気がする。 URL
    ガチ系のフライトシミュ見てるだけでも「無理」となる(笑)
  53. 子爵夫人、どたぷ~んで、ロリなのに、戦うときは鎌を使うのか
    豊穣神の神格武器が農具系だからね!
  54. うっす、千葉が心配ですね。Windows遭遇者です。今日はファイル名の話。40年前のDOS時代はファイル名、名前8文字、拡張子3文字の、83式が普通でした。これがWin95の登場で豪快に拡張され、ファイル名は確か256文字まで拡張されたと覚えています。んで今のWin11まで続いているのですが。じ つ は今もWinが各ファイルに、勝手に83式の名前を名付けています。それでどういう影響があるかというと、例えば1フォルダに130万ファイルをえいやと投げ入れると83式の名付けが間に合わず、Winがハングアップしてしまうそうです(Dellの研究結果) 1フォルダに130万ファイル? そうないだろう? ええ、そうですね。でも皆さんも体験したことがあるんじゃないでしょうか。アンドロイドスマホとWin間でファイル転送が異常に遅いの。そうです、この遅いの原因が、1ファイル1ファイルにいちいち83式名付けしているから時間がかかっているんです。こんな仕様を未だに残しているのは全てWinの後位互換を保つため。そんな古い機能はいらんという人もいると思いますが、この機能をオフにするにはDOS窓とレジストリをいじる必要がありますので万人にはオススメできません。またソフトインストール時、インスト情報ファイルが83式の名前で記録されていたりするとアンインストできなくなったりするので、詳しくは書きません。気になる方はググってみましょう。お約束で自己責任で。実作業は83式機能をオフにする事と、各ファイルの83式名前を消すこと。かなーり面倒です。で83式オフにすると、全体的にサクサク動作するそうですよ? by Windowsトラブル遭遇家
    VFATとか懐かしいな
  55. 32>つまりかっちゃんはたっちゃんで、甲子園はクラウザーさんと関西が夜を共にしたことで生まれて、イタコの正しい使い方は自身が殺めた相手とHすること。…まったく意味が分からないが謎の説得力よ。
    さすがクラウザーさんだぜ!!!!
  56. 初めて炊飯器でホットケーキを作ろうとした時、我が家の炊飯器にケーキモードがある事に気付いた。普通に美味かった。
    蒸し器モードとか色々あるよな。使ったことないけど。
  57. 待望の冷凍怪獣(笑)  URL
    採用!!!
  58. 地面も見えないような高層アパートの柵もついてない螺旋階段のすぐ下のコマで階段に普通に手すりがある。建物の設計者の安全意識が良く解らない……。
    怪異の世界だから複雑怪奇であるな(笑)
  59. ゴブスレの話>そのウンタラは一般読者視聴者目線の話であってあの世界が上位存在のTRPGプレイワールドであるのを鑑みるとじゃあ何で世界的にゴブりんナメきってる状況にされてるの?という話でもある(GM目線)。考えられるのは我が分身たるプレイヤーNPC(…プレイヤーでNPC…?)ならゴブリンごときじゃないもっとデカい冒険しろよしてよって迷惑な神目線の反映かはたまたゴブリンスレイヤーという奇行種に対する神忖度か?あの世界の神様たちみんなプレイヤーキャラ大好きみたいだし。だが結果的にはあの世界の住人たち誰も彼も強制落とし穴目線化で無意識に自業自得を強要されてるという酷い世界ということに…
    「変だよね」「変だけどしょうがないね」のはずが「変じゃないですよ! 納得してください!」と食い下がってくるな!!となるやつ(笑)
  60. キャプテン翼のソシャゲで何故かzoidsとのコラボが。別に選手がゾイドに乗るわけではなく、各自の技を放つ際に背後にゾイドが映る(シュナイダーならファイヤーショットの後ろで荷電粒子砲を撃つデスザウラー)的な演出。 URL
    ほんとうになんで(笑)
  61. なんとなくワダツミさんはこう言う同人誌好きそうだなと思った。 URL
    好きだね!!!!
  62. >竜殺しクレーメンス・ロイヒトゥン子爵 ウィキの項目ができるかどうかのラインの郷土の英雄だった人が竜殺しを成し遂げたので『リクターの野望』で毎作、群雄(大名)としては無理だけれど武将としては登場するレベルの知名度を獲得した感じなんでしょうか。作品によっては《豊竜戦役》イベント後に群雄として独立……しても攻める先が永久の森しかない(多分、ビューリンゲン伯爵に反旗を翻したわけでないので従属していると思われる)ので、意味ないですね。うん。閑話休題。立地的に国の直轄地にして武張った代官とか置いた方がいいんじゃないかと思うんですけれど、陪審への直接的な命令権なんてあるわけないですから、ヴィーリオンとしてはビューリンゲン伯爵に「もう少し喧嘩できる奴置いたほうがいいんじゃねえの?」と折に触れて言うのが精一杯ですかね。これもあんまり言うと「うぜえ」と本能寺ポイント稼いじゃいますし、そもそも「お前特にやらかしてないけど俺に都合悪いからお前父祖伝来の土地捨てて他所行け。収入大して変わらんとこ用意するから」は封建社会だとNGですし。え? また当人の話してない? だから、こういう真っ当な英雄は言葉が出てこないんですよ。本当に
    伯爵がまぁ信長の野望なら「一国の大名」クラスなんで、「ボンクラ大名の強力家臣」ポジだな(笑)
  63. >聖姫の執事ロタール この人、こんな狼みたいな人だったんですね。知力や判断力が低かったら、呂布みたいに「みんな倒して俺最強」と(本人的には多分一番強くなれる道を邁進してるつもりで)裏切りと出奔を繰り返したり、永久の森へ突撃しておっ死んだ(99,9%)り、狼や猿くらい知性のある魔獣の群れを従えてターザンみたいになってた(0.1パーセント)り、ゴーイングマイウェイを驀進してティアリオンまで到着してティアスティアネリアの配下になってトラブルメーカーやってた(万分の一くらいですかね)りしたんですかね。主への目に余る無礼な態度を隠せず父親に誅殺される、というのは、多分、無いですよね。……ないですよね? 何にしろ、クレーメンスの誕生はいろんな意味で行幸だった、と言っていいみたいですね
    普通に出奔して武者修行に明け暮れ、無関係に生きてたんじゃないかなぁ(笑)
  64. AveMujica見てたんですね。放送当時は触れてなくて引っ越しもあったみたいなのでネタバレになるようなこと書かない方がいいのかなーとは思ってたんですが。ちょっと内容が人を選ぶから嫌いな可能性もあるんじゃないかなーとも。
    リアルタイムじゃなくて、終わって間もない頃にまとめて観てた感じだね!!
  65. >《豊穣の聖女》オティーリエ・ロイヒトゥン子爵夫人 二つ名って、あくまで豊穣神の神官だから、ですよね。その、体の一部からの連想から付けられたとなると、昨今のコンプラの厳しさ的に下手したら本人から訴えられるかもしれませんから(お前は何を言ってるんだ)。閑話休題。よほど自分ルール万歳派でもない限り、人間は自分が好意を向けている人に期待は掛けてもらわないと頑張れませんけど、その人が耐えられる限界以上の期待はプレッシャーになって潰れる要因にしかならないので、クレーメンスもそうですけどよく育ち切ったものですね。乗り越え方に個性が出るのも面白いです。でも、そんなに言うほどノア姫の才能含めて内面って母親にですかね。信仰してる神様はともかく、個人的にはクレーメンスの方から受け継いだ物は多い気がするんですけど。天才性や将来性はイマイチ計りかねるんで正確には分からないですけど、7割も言ってないんじゃないかなぁ、と。母親への遠慮だというのなら、父親は特に我が子としての自覚が「あ、自分に似てる」と感じる部分なんですからちょっと無神経に自分贔屓でいいと思います。個人的にですけれど。最後にすごくどうでもいいですけど、クレーメンスの方が2歳年上なんですね。包容力云々の関係で、読んでるときはオティーリエの方が2,3歳年上だと勝手に思ってました。もしかして、この時感じたギャップがバブミ、なのか?(違うと思う)
    実際にどれくらいの比率で資質継承されているのかの設定もあるのですが、それが表に出ることはないでしょう(笑) うーん豊穣。
  66. >《忠勇なる魔導師》パウル・ベッカー男爵 今回紹介される人はメインの技能か能力値(あるいは双方)が高い場合がほとんどですけど、彼とラング男爵は、いつもならともかく今回は大人しめに見えますね。冷静に考えると、9レベルの人を犠牲にするのが、かばったのが正真正銘の、絶対に替えの利かない、それを取られた時点で負け確定のキングとはいえ駒得というのは狂っているというか、竜という存在の規格外っぷりを語っているというか。パワーレベリングの結果とのことですが、戦役勃発時は何レベルくらいだったんでしょうか
    戦前8→死亡時12だねー。なので、レベルの上昇幅としては他のメンツの中でもやっぱり一番小さい。
  67. >森匠ハンス この人の行動をこっちの世界で例えるなら、機械の保守点検、整備する会社に勤めてた人が定年退職した後は近所の電化製品の修理を趣味でやる、という感じでしょうか。え? 危険度が段違い? 本質はいっしょだからヘーキヘーキ(そうかなぁ)。しかし、性分とはいえ、帰る場所ができて、死ねない理由が増えたというのに現役時代よりも危険度の高い物に挑みたがるのは、人間とはなんとも号が深いものですね。自分が全力を出してなお死地となるところに挑む時に感じる管区を味わうのが目的となると、ひょっとして家庭を持ったのはそれをさらに味わうためのスパイスとしてなんじゃないかと思わないでもないですけど、それはさすがに人でなし過ぎますから違いますかね。……違いますよね? でも、説得されてしぶしぶと引き受け、「竜がいるかもしれないところの近くまでは案内する。竜と遭遇したら逃げるからな」じゃなくって「行こうぜ、殿下。竜の面を拝みによぉ!」と前のめりなのは、「狂気の沙汰ほど面白い」と言ってるアカギと大して変わらないでしょうし。うーん。まぁ、奥さんとお子さんがいいならそれでいいか。うん。パンピーのそれとは違う、悠々自適の老後を送って、己の技量と精神性を受け継ぐ弟子の一人でも育て切って、ベッドの上で大往生、もしくは己を打ち倒すに足る獣の糧になって人生を全うすることを願っています
    これだから剛毅神の信者は綱渡りが大好き過ぎて困るぜ!!
  68. ロイヒトゥンとか、聞いた名前が出て来て私ニッコリ。思い出補正が入っちゃうわー。
    いつか、姫世代のやつも載せていきたい!
  69. トランスフォーマーザムービーで個人的なユニクロンの功績が一つだけあって。ガルバトロンがスタースクリームを処刑したこと。うん、お前は一度死んでおくべきだわって、思ってたからな! しかし、その後2010でガルバトロン様の精神をイカレさせてしまったのでプラスマイナスでマイナスである。やっぱダメだ、あの星喰いトランスフォーマー。害悪でしかない。
    清々しい調子こきっぷりだったからな!
  70. >《竜殺し》オスヴァルト・ラング男爵 まっこと政治は複雑怪奇なり。ホルストマン子爵が特別狭量で酷薄という訳でもなく、貴族、という存在はこういう生き方をしていないと簡単に没落しちゃうんですよね。すぐにヘルプが来ても、のらくらと伸ばしたんだろうなーと思しき部分は無位無官の人間としてはさすがに肯定的には思えないですけれど、下手に正義の味方なんてやって領民が身売りしないといけないくらい困窮しました、最高戦力が戦死しました、なんて事態は絶対に避けないといけない以上、竜に対して絶対的な戦力なんて望むべくもない弱小貴族にはやむを得ないですよね。サイコ・ガンダムとか持ってたなら、あとで動かすのにかかった費用請求するなりなんなりしていいからさっさと動かせよ、とはなりますけど、そんなのあるわけないですものね。というか、賭けに勝ったとはいえ、「よくやった。褒美を取らす(何の実権も実入りもない名誉職だけくれてやるよ。余計なことしやがって。せいぜいうちの名声アップの土台になって一生を終えろ)」ではなく、ちゃんと爵位を与えて部門の統括者という花も実もある物を与えているんですから、結果が出るまでどう思ってたかはともかく、主家の利益になったことには報いているんですから、ちゃんとしていると言ってもいいくらい。この扱いに、マルティンはどれくらいクンツに言ったんですかね。それとも、クンツもこれくらいの功績はまぁ、いいかと思っていたんでしょうか。何にしろ、現役時代を描く伝記だったら、戦役が最終章であるクレーメンスやロタールと違って、第一章になるであろうラングとでは同じ二つ名でも自ずと意味合いが違ってくるんでしょうね。主より声望のある家臣がたまに通る、疑心暗鬼からのお手打ちルートが伝記の最終章になりませんように
    マルティンさんは別に差し出がましいことを父親に具申はしてないですな。普通にクンツが「乗るしかない、このビッグウェーヴに」です。
  71. >竜討爵ウーヴェ・ロイヒトゥン 間違えて左の名前で検索したら何故か「もしかして:竜討爵ガーウーヴェ・ロイヒトゥーン」じゃないかとグーグルに訊かれました。もしかして息子の方はばしててこっちが誤字ってるのかと思ったんですけど、そんなことありませんでした。グーグルは何を根拠に「こっちじゃねえの?」と言い出したのか。我々はアマゾンの奥地へ飛んだ。閑話休題。今回は張遼とか趙雲ばっかりで、ラングやパウルも蒋欽(一発変換できるんか。呉好きとして感動)や李典クラスなんでともすればハイレベルっぷりにくらくらするんで、黄忠(なんでこっちは一発変換できんのだ)、ではなく孔チュウのような平凡さに清涼感を覚えます(ひどい)。しかし、客将に軍権のすべてを委ねるというのは暗愚な領主に出来ることではなく、己の器を知り、自分ができる範囲で出来ることをやってるのは立派ですよね。それとも、シェナンの提案の意味の全てを察し、本当に自分に今の立場にいることが力不足で、一日でも早く隠居するのが最適解だと思ってしまったんですかね。「考えることを本当にやめた」がもう少しポジティブだといいな、と幕末では毛利 敬親も大好きな人間としては思いたいです。話は変わりますが、最後のイラストの農作業というか園芸というか、をしているときの表情はどう見ればいいのやら、と言いたくなるくらい味わい深い表情ですね。もしかしたら、愉悦部員の方がよく分かるかもしれないですね。これは
    この人はマジでそういった深謀遠慮や慧眼はないです。すべて浅はかな成り行き任せの結果オーライです(笑) 最後の表情も特に含みは持たせとりません。
  72. >《花の聖槍》木花香穂律衛爵 友好的な笑顔を浮かべてくる美人なんて信用できない筆頭でしょうに(ひどい偏見)。おまけに裁獄神の神寵者ですよ。信用してはいけません(ひどい偏見)。と、彼女の属性を抽出した場合、トップ2で大きい属性にかなりネガティブな感想を抱きやすい奴の妄言はさておき、辺境の弱小とはいえ、近場の貴族が軒並み震え上がって特に主戦場になるであろう家の当主は全権を客将に託すという非常識ともいえるベットをしているというのに、竜を屠るのが一生の武功話ではなく土産話の一つ、というのは何というか上には上がいるというか、ここまでスケールが違うというかなんというか。まぁ、彼女は彼女で身をよじるほど思い悩むこともあるでしょうから羨むことでもないと思うんですが、それでもため息しか出ないですね
    神寵者の視座は神レベルだからね!! 人の常識では測りかねることがままあります(笑)
  73. 鼻が利かなかったり、入ってないサブスク限定だったりで最近なかなか遭遇する機会がなかった(多分、世間一般ではそう呼べても愛好家レベルでは)クソアニメですが、今期は『鬼の花嫁』と『メビウス・ダスト』という2つを引き当て大いに満足しています。「いかに面白くないか。いかにクソか」なんて聞いてて楽しいものではないので長々とは述べませんが、前者は「男も女も無条件に肯定されてちやほやされたいという、安っぽい欲求が根底にあるんだな」という知見を得られ、後者は「1クールは確かにオリジナルで1から世界観を語ってキャラの掘り下げをするのは短いけど、ここまで内容なく12話を埋められるんだ」と感動しました。もう少し言葉を付け足すなら、時間を無駄にしたくないら資料をしないことを勧めます。怖いもの見たさはやめましょう。本当に、何も得るものはないので
    TRPGのときに無駄にBGVに流すのとかに向いてそうだな!!
  74. >5 哺乳類で唯一真社会性を獲得したハダカデバネズミを完全に分析、応用できればもしかしたら人類同士の争いはなくなったりして、と思ったり思わなかったりしますけど、多分無理ですよね。解析するのもの取り入れるのも、人類すべてがその輪に入るのも
    別のメンタリティでディストピアじみないと無理じゃね(笑)
  75. >28 個人的に歴史辞典の抜粋的な感覚で読んでおります。もっとテンプレ感あったら、休日の数時間かけてあんな長文感想送ったりはしなかったでしょうね
    俺の毎週最大の楽しみです! キャラに深みを持たせてもそれが無駄にならない安心感!
  76. >34 個人的には他球団(特に巨人)ファンと宣言しての上なら、「おお、悔しかろう。7連敗してもマジック消えとらんし、現(9/27)時点でマジック4だもんなぁ。悔しいよなぁ」とプロレス出来るんですけどねぇ。まぁ、宣言されててもここくらい閲覧者が多いと今度はその球団(とファン)への攻撃増えるんでやっぱやっちゃダメですね
    別に他球団ファン目線ではなかったんだよなぁ(笑)
  77. >39 前者はワダツミさんも言ってるようにアニメになったので基本正史ですし、後者は日本SF漫画の大御所が30年掛けて描いたものを潰してあれ以上の出来の宇宙戦国時代を描くという度胸のある人いるとは思えないんで、正史扱いでいいんじゃないんですかね
    大作過ぎて今更アニメ化無理そうなんだよな(笑)
  78. >60 ふむふむ。たとえ『北斗の拳』の黒王号が基準でも騎兵の方が戦車兵よりは運用面で用意するのが少ない、みたいなものですね。それと、やっぱり「こんなこともあろうかと、鍛え続けたこの体!!」とかやってない限り、彼自身が合成獣になったというのは考えにくいですね。「倒されるまでが怪獣(違う)の美学!」というタイプならともかく自作が敵をバッタバッタとなぎ倒すというのが理想なら自分をベースにはしないでしょうね。可能性があるなら『ダイの大冒険』の超魔ゾンビっぽいものかもしれませんが……、さすがにあれをちょっと人よりアクセル吹かすだけの変な人が選択するとは思えないんで、個人的には行方不明(生存)に一票
    そして戦車の補給物資は、それを用意する生産施設や調達の兵站自体も負担がでかい!
  79. >63 戦勝国と敗戦国の関係だからどうしても客観的にはそうなっちゃいますよね。多分、「国とかどうでもいい」という貴族教育本当に受けたのかと言いたくなる精神性があるだけな気がするんですけれど。もういっそのこと、こっちで言う所の赤十字とか国境なき医師団とか、サンダーバード(フィクションじゃねえか)を設立したりした方が誤解が解ける(というか別の視点を持ってくれる)かもしれないですね。理解された結果更に距離を置かれるかもしれませんが
    守護神教団ってのは多分にそういった性質の組織ではあるんだけど「ものには限度がある」ということである(笑)
  80. まあ次のラウンドが何事もなかったかのように始まるのですが(笑)  URL
    ギャラクシーエンジェルのアニメみたいなもんだな!!!
     
 
         
         

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