
われもこう - Photo by Muku
六年ほど前の初秋。
植物園のように広い園芸センターで、一鉢の吾亦紅を買った。
野の秋草をわざわざ買い求めるのは、私には珍しいことだ。
その吾亦紅を、家から歩くには少し遠い、丘の上に借りた畑の片隅に植えた。
眺めのよい広い圃場の一角だった。
私の吾亦紅は期待以上にすくすくと育ち、その株を増やしていった。
だが、地主の都合で畑を返さざるを得なくなった。
二月には、谷いっぱいに広がる梅林に白梅や紅梅が咲く。
梅の花越しに仰ぐ白雪の富士山の絶景を失うのは、心底辛かった。
が、次の菜園を探し求めた。
今度の菜園は、家から徒歩五分の貸農園。
そこに吾亦紅も移植した。
長年耕されてきたその農園の土は、軟らかだった。
移植の心配をよそに、吾亦紅は以前にも増して旺盛に根を張った。
多すぎるほど増えた株から伸びる葉は、秋風を通さないほど密生した。
三月、寒さが和らいだ頃に株を分け、七月、梅雨が明ける前に葉を梳いてやる。
それが毎年の恒例となった。
今更ながらだが、私には吾亦紅に特別な思い入れがあるようだ、と気付く。
私にとって、吾亦紅はただの秋草ではないようなのである。
秋はじめ。
まだ暑さの残る風に、吾亦紅が揺れる。
その刹那、私の心も揺れる。
「吾亦紅色」「吾木香色」と呼ばれる、小豆色に似た暗紅色の地味な花穂が風と語らうのを見つめていると、いつしか、私の思いは故郷のイーハトヴの野を翔け巡っている。
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛 風吹けば・・・
宮沢賢治の『春と修羅』にある「高原」の一節だ。
賢治はきっと、揺れる芒の穂波を、子供の頃の私がそうしたように、吾亦紅の傍らに寝そべりながら眺めて、この詩を着想したのに違いない。
家庭菜園の片隅で揺れている吾亦紅を見ていると、いつしか、耳の奥でドラミングの音が聞こえ出す。
ヘンリー・マンシーニの
『Lujon (Slow Hot Wind)』――けだるい曲のメローなパーカッション。
その残響が止むと、別の重厚なドラミングが取って代わる。
鹿踊(ししおど)りの太鼓だ!
その瞬間、私は賢治の『鹿踊りのはじまり』の世界に没入してしまうのである。
Note: この記事の内容を基に、海外の読者用に少し丁寧に説明し、編集し直した英語版を、"Waremokō: An Ode to Autumn's Crimson but Humble Flower"(われもこう賛歌)として、
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