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天と地の何かが違ひ花冷ゆる

ブログの移転のお知らせ

2026/09/11 Fri

前々から英文でも記事を発信したいと思ってきました。

2026年8月から、海外プラットフォームのMediumで、英文エッセイや俳句を発信し始めました。

執筆の負荷が倍では済まないほど増えたので、これを機に、日本語ブログの方も極力書きやすさを求め、Mediumと仕様がよく似ているnoteに移ることにしました。

以後の記事はそちらに掲載します。

FC2ブログをご愛読くださった皆様に、心から御礼申し上げます。

引き続き、noteブログに足を運んでいただければ嬉しく存じます。

noteブログとMediumでの執筆者名、URLは以下の通りです。

▪ noteブログ: Muku Watanabe URL: https://note.com/sane_eider7984/all

▪ Medium: Muku Watanabe URL: https://junobird16.medium.com/

テーマ : 渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~
ジャンル : 学問・文化・芸術

吾亦紅(われもこう)

2026/09/09 Wed


われもこう - Photo by Muku



六年ほど前の初秋。
植物園のように広い園芸センターで、一鉢の吾亦紅を買った。
野の秋草をわざわざ買い求めるのは、私には珍しいことだ。
その吾亦紅を、家から歩くには少し遠い、丘の上に借りた畑の片隅に植えた。
眺めのよい広い圃場の一角だった。

私の吾亦紅は期待以上にすくすくと育ち、その株を増やしていった。
だが、地主の都合で畑を返さざるを得なくなった。
二月には、谷いっぱいに広がる梅林に白梅や紅梅が咲く。
梅の花越しに仰ぐ白雪の富士山の絶景を失うのは、心底辛かった。
が、次の菜園を探し求めた。
今度の菜園は、家から徒歩五分の貸農園。
そこに吾亦紅も移植した。

長年耕されてきたその農園の土は、軟らかだった。
移植の心配をよそに、吾亦紅は以前にも増して旺盛に根を張った。
多すぎるほど増えた株から伸びる葉は、秋風を通さないほど密生した。
三月、寒さが和らいだ頃に株を分け、七月、梅雨が明ける前に葉を梳いてやる。
それが毎年の恒例となった。

今更ながらだが、私には吾亦紅に特別な思い入れがあるようだ、と気付く。
私にとって、吾亦紅はただの秋草ではないようなのである。

秋はじめ。
まだ暑さの残る風に、吾亦紅が揺れる。
その刹那、私の心も揺れる。
「吾亦紅色」「吾木香色」と呼ばれる、小豆色に似た暗紅色の地味な花穂が風と語らうのを見つめていると、いつしか、私の思いは故郷のイーハトヴの野を翔け巡っている。

  海だべがど おら おもたれば
  やつぱり光る山だたぢやい
  ホウ
  髪毛 風吹けば・・・

宮沢賢治の『春と修羅』にある「高原」の一節だ。
賢治はきっと、揺れる芒の穂波を、子供の頃の私がそうしたように、吾亦紅の傍らに寝そべりながら眺めて、この詩を着想したのに違いない。

家庭菜園の片隅で揺れている吾亦紅を見ていると、いつしか、耳の奥でドラミングの音が聞こえ出す。
ヘンリー・マンシーニの『Lujon (Slow Hot Wind)』――けだるい曲のメローなパーカッション。
その残響が止むと、別の重厚なドラミングが取って代わる。
鹿踊(ししおど)りの太鼓だ!
その瞬間、私は賢治の『鹿踊りのはじまり』の世界に没入してしまうのである。

Note: この記事の内容を基に、海外の読者用に少し丁寧に説明し、編集し直した英語版を、"Waremokō: An Ode to Autumn's Crimson but Humble Flower"(われもこう賛歌)として、Medium上でも発信しています。(記事によって更新の順番が逆の場合もあります。)🔹"Listen"ボタンを押すと、AI音声による滑らかな朗読(英語)を聴くことも出来ます。推奨リスニング速度:150-170WPM。

テーマ : 渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~
ジャンル : 学問・文化・芸術

吾亦紅と曼珠沙華

2026/09/07 Mon


吾亦紅云はぬが花といふことも

(われもこう いわぬがはなということも)


曼珠沙華秘するが花といふことも

(まんじゅしゃげ ひするがはなということも)

詠者: 渡邊むく

テーマ : 俳句
ジャンル : 学問・文化・芸術

秋めく

2026/09/04 Fri

秋めくや鈴懸は実の影を濃く

(あきめくや すずかけはみのかげをこく)

Muku





My New Work Station




§ キーボード付きタブレット §

Chromebookを買おうと思ってヤマダ電機へ。
見ているうちにキーボード付きタブレットの方が欲しくなって、それに決めて購入。
2026年春モデルのNEC LAVIE Tab T1275LASという機種です。

画面サイズは12.6型と、タブレットにしては大きめ。
タブレット本体の重量は533gですが、簡単に着脱できる重さ376gのキーボードが付いているので、それを入れると906gです。

英文タイプライター仕込みの半世紀を優に超えるキーボード派なので、画面に表示されたキーボードで文字を打つのは苦手。
ピアニストのように滑らかに?運指できるキーボードが必須です。

タッチパネッルに対応しており、専用ペンも付いています。
マウスも欲しいので、Logicoolの静音タイプのAndroild Bluetoothマウスを購入しました。
あとは、サイズの合う適当な保護ケースを買おうと思っています。

光沢画面なので画像表示はきれいだと思いますが、外で使う時の反射はどうか?
必用ならノングレアの保護シートを貼ろうと思います。

ノートPCもLAVIEなので、「つながる!LAVIE」というNECの無料アプリを使ってパソコンとタブレットを直接つなげば、PCのサブスクリーンとして使用でき、手元のデバイス間であれば外部のクラウドサービスを使わずににデータをやり取りできるのも便利そうです。

海外プラットフォームのブログで英語での発信も始めたので、長時間パソコンの前に座って画面をにらみ続ける不健康な時間を出来るだけ少なくしたい、という動機からの買い物。
ソファに座ってタブレットを膝に乗せてというスタイルもありだと思いますが、それよりも外に出て公園やコーヒーショップで、と、
ガンコちゃんも快く賛成してくれたので。

タブレットを使うのは十年ぶりです。
進化したタブレット、驚きです。




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ジャンル : 学問・文化・芸術

ホ句の秋

2026/08/31 Mon

ほどけてはまた結びてはホ句の秋

(ほどけてはまたむすびては/ほくのあき)

Muku





葛かづらの通せんぼ - AI generated




§ 葛かづら §

若かりし日のある早朝、幅四メートルほどの散歩道の左右から手を伸ばした葛の蔓が、道の真ん中で握手を交わすように絡み合い、私の行手を通せんぼしていることがありました。
一晩で一メートルぐらい伸びたのではないか?と思わせるほどの、恐ろしいまでの生命力。

この葛、アメリカでも"Kudzu"と日本名そのままで呼ばれます。
かつて土壌侵食を防ぐ緑化植物として日本から持ち込まれた背景からです。
しかしその繁殖力の凄まじさから、今や"The vine that ate the South"(南部を飲み込んだ蔓)と恐れられ、「侵略的外来種」や危険植物に指定されています。
「夜は窓を閉めないと葛が入ってくるぞ」という現地ジョークがあるほどです。

一方で、私にとって葛は甘やかな記憶の植物でもあります。
初秋の風にのって漂う葛の花の香りを嗅ぐと、ファンタ・グレープの匂いを思い出すのです。
二十年余り前に「葛の花ファンタグレープの匂ひして」という句を詠んだのも、香りの仕事に携わった経験があり、葛の花に含まれるアントラニル酸メチルという香気成分が、あの清涼飲料水の香りの正体だと知っていたからです。

今年六月、体調を崩して入院を余儀なくされました。
静かな病室で耳を澄ます「看護師の上履きの音明け易し」の日々。
句会から遠ざかり、ペンを置かざるを得なかったそれまでの日々の明け暮れは、人生の糸がするすると解けて途切れてゆくような心細さに満ちていました。

葛が逞しく生い茂る八月。
葛かづらは解けるからこそ再び結ばれるのだ…と、 解けた糸をもう一度手繰り寄せ、一句また一句、とつとつと言の葉を紡ぐことで、私は少しずつ日常を取り戻してゆきました。
――解けたなら、また結べばいい。結ばれていたという過去があったからこそ、解ける痛みを知り、再び結び直す歓びを噛みしめることが出来るのだから。

闘病を経て再び句を詠み筆を振るえるようになった喜びを、家族をはじめ私を支えて下さる全ての人々への感謝の挨拶を、この句に託しました。
「結びてはまたほどけては」では、最後に糸が切れ、未来が途絶えてしまいます。
だから「ほどけては」の一時から「また結びては」へと、視線を未来へ、そして上へ向けてゆこうと思います。
電信柱の高きへも登る逞しい葛かづらのように、常に大空を目指してゆこう、上向きでゆこう…と。

ほどけては結ぶ果てなきホ句の旅路を、清々しい秋空の下で再び歩む日々です。


=====
Note: この記事を編集し直した英語版を"Beyond the Flower: Kudzu as One of the Seven Autumn Plants"(花を越えて:秋の七草の一つとしての葛)として、海外読者用に
Medium上でも発信しています。(記事によって逆の場合もあります。) - 2026.9.2




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夏座敷

2026/08/28 Fri

夏座敷通訳の箸遅れがち

(なつざしき/つうやくのはしおくれがち)

Muku





ゴーヤの花




§ 通訳の箸 §

🖋 ゴーヤの花と冬瓜

雨の上がった早朝。
風がなく、菜園にはゴーヤの花の香が漂う。

   甘い香のするとは意外花ごーや

と、かつて詠んだ句のとおり。

借り手がいなくなった区画には、草ぼうぼうにしないために南瓜とともに植えられた冬瓜が実っている。

我が菜園の冬瓜を、昨夜ガンコちゃんが炊いてくれた。
戴くのは今夜。
酒はきりりと冷たいのが良い。
「吉四六」にするか「上善如水」にするか。

🖋 夏座敷

夏座敷の句は、ふと現役時代を思いだして詠んだ今朝の句です。
懐石料理では、「仕事柄箸の進みが遅いので、自分にかまわず次のお料理を運んでください」と、あらかじめ仲居さんに伝えておくのが常でした。

「夏座敷」は風が入るように解放した日本家屋のことですが、拙句のそれは「お座敷」。
懐石料理の席ということで、拡大解釈も許していただこうかと。


=====
Note: この記事を編集し直した英語版を"Refreshing Summer Kaiseki Cuisine in Tatami Room"(畳の間で味わう涼やかな夏の懐石)として、海外読者用に
Medium上でも発信しています。(記事によって逆の場合もあります。)




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柳田国男と芥川龍之介の河童

2026/08/24 Mon

河童忌や始めから無き尻子玉

(かっぱきや/はじめからなきしりこだま)

Muku





かっぱ図 ― AI generated




🖋 月遅れの河童忌:

今日の俳句は、芥川龍之介の命日「河童忌」である七月二十四日に詠んだものです。
句を詠んだ後、芥川の晩年の傑作として知られる小説『河童』や、柳田國男が河童伝承について書いた著作を読み返してみようと思い立ちました。
それらの読書と、著作の内容を自分の中に落とし込むのに手間取ってしまい、句の紹介が今日まで遅れてしまいました。

🖋 柳田國男の河童ワールド:

今日なお燦然と輝く日本民俗学の祖である柳田國男が提唱した「水神零落説」を紐解くと、私たちがよく知る河童の姿は、かつて古代の人々に崇められていた聖なる存在の“成れの果て”であることが分かります。

古代の信仰において、偉大なる水神(龍や大蛇)が人間の前に姿を現すときには、小さな子供(童子)の姿を借りることが多いとされていました。
水神の祀りや田植えに同行して、神の使いとして祭祀の実務を担っていた「水神の童子」、それが河童の原型です。
古代の河童は、農耕に不可欠な恵みの雨をもたらす主神である水神とともに、畏敬の念を持って遇されていたのです。

しかし時代が下り、人々の信仰心が薄れると、人間と水神との聖なる契約は破綻してしまいました。
馬の生贄などの供物は途絶え、水神信仰の“神聖な部分”は、のちに伝来した仏教や神道の神仏(弁財天や水天宮など)へと融合・上書きされる形で格上げされていきました。

一方で、現場で汗を流していた実務担当者である「童子」だけが主神を失って行き場をなくし、水辺に取り残されてしまったのです。
そうして神でも人間でもない「妖怪」へと落魄した結果、コントロールを失った彼らの本能が暴走し、人間や動物に悪さをする河童という妖怪になった――これが、柳田國男の描いた河童の切ない誕生の背景です。

たとえば、『遠野物語』には人間の女に河童が子を孕ませる話や、馬を河童が川に引き込もうとする話が書かれています。
一方、尻子玉の話は、柳田が故郷兵庫県神崎郡福崎町に伝わるガタロ(河太郎)の話を回想する著書『故郷七十年』に登場し、河太郎(=河童)が子供たちの“お尻を抜いて”水死させると語られています。
“お尻を抜く”とは、肛門の中にある臓器(魂)である“尻子玉”を抜くことで、これを抜かれると人間は生気を失い、抜け殻になるのです。

🖋 芥川龍之介の悩める河童:

次に、芥川龍之介の河童の世界と小説『河童』についての所感を記します。

芥川は河童の絵をよく描いたことで知られていますが、実は、その河童との出会いは彼の幼少期にまで遡ります。
芥川は、子供の頃から河童を含む江戸文学の妖怪たちの話や妖怪絵図に親しんでいました。
いわば、芥川は河童と共に育ったのです。

その芥川の前に、柳田國男の河童ワールドともいうべき著作『山島民譚集(さんとうみんだんしゅう)』や『遠野物語』が現れました。
芥川はそれらの著作を深く読み込みました。
芥川が友人へ宛てた書簡には、「河童の考証は柳田國男氏の『山島民譚集』に尽している」と最大級の賛辞を送り、それらが小説を着想する直接的なきっかけとなったこと、『河童』の執筆にはそれらを下敷きにしたことを語っています。

その一方で芥川は、小説『河童』の中で、「河童の強敵に獺(かわうそ)がいるなどということは『山島民譚集』の著者柳田國男さんさえ知らずにいたらしい新事実」と、柳田をリスペクトしながらもその巨匠を煽るようなことも書いています。

芥川の小説『河童』は単なる寓話ではありません。
柳田が全国の伝承からすくい上げた河童の生々しい生態――水中で増す力、頭の皿の水分、そして尻子玉。
芥川はそれらのリアルな民俗学的ディテールを下敷きにしながら、河童の話を近代社会の法律や医学、芸術観のパロディへと鮮やかに変貌させました。

柳田が“かつて在った異界”を記録したのに対し、芥川はその異界を借りて“今ここにある人間社会”の欺瞞を痛烈に風刺したのです。
河童の恐ろしさを、芥川は、妖怪の恐ろしさというより資本主義や近代化の波の中で、自らの「本質」や「生きる意味」を吸い取られてゆく現代人の虚無感の恐ろしさを書いたようにも読み取れます。

かつて高い霊性を持ちながら水辺に取り残され、妖怪へと零落した河童。
そして高度に発達した社会の中で自己を見失い、精神の落魄を辿る人間。
芥川は、柳田が提示した「神の零落の物語」を、近代人の「精神の失調」へと見事にスライドしてみせたのです。

その芥川が衝撃的な死を遂げた直後、柳田國男は当時のオピニオンリーダー的な雑誌だった『改造』に、芥川への追悼文を書いています。
文豪の死を惜しみつつも、その中で柳田は芥川の『河童』を、「近代の個人主義に引き戻してしまった」と批判しています。
名もなき人々が川の脅威や信仰の中で語り継いできた「共同体の記憶」としての河童に比べれば、芥川が小説に描いた河童の世界はあまりに都会的で私小説的だという、民俗学者としてのプライドを覗かせる批判でした。

柳田國男と芥川龍之介という二人の巨人の、互いのリスペクトと対抗心が入り混じる知的な交戦に対する愚生の軍配は、柳田に上がります。
しかし、死を前にした文豪の痛切な内省の鏡として、芥川の『河童』もまた文芸としては許されるものだと思っています。

🖋 結びにかえて ― 田端文士村から:

神性を失い妖怪となった河童の国へと思いを馳せ、時代の歪みに病んでいった芥川龍之介。
その彼が最後に生きていた場所が東京の北区田端の高台、いわゆる「田端文士村」の一角です。

いみじくもそこは十代で上京した愚生が初めて身を寄せた地であり、かつての文士村の中心地だった芥川の旧居跡から百メートルも離れていない場所でした。
戦災で辺り一帯は焦土と化し、戦後に再び復興建設された住宅地でしたが、当時はまだ、大正の文士たちが吸っていた空気の匂いが、そこかしこに漂っていました。

すぐ傍に神社の杜がある芥川の旧居の周りは昼でも少し薄暗く、霊気のように冷やりしたものが漂っているように感じられました。
高台と田端駅を結ぶ江戸坂は私の通学路で、当時は道幅が狭く、街灯が少なく、夜は心細いほどでした。
今やその江戸坂下には立派な「田端文士村記念館」が建ち、周辺も整備が進んで明るくなり、昔日の面影は急速に失われつつあるようです。

「龍之介はここで室生犀星、荻原朔太郎らと夜を徹して熱く文学を語り合ったのだろう。ここで『河童』を執筆したのだろう。この暗い坂の一灯の下を、大正の終わり、精神を病み、“ぼんやりした不安”を抱えて、彼もまたうつむきながら歩いたのだろう。」
そんなことを思いつつ過ごした文士村での我が青春の、文学に魅せられた日々。
そんな昔日と、それよりも遥かな時代の文士村の光と影を偲びつつ、本稿を閉じることにします。

   江戸坂の一灯暗し蚯蚓(みみず)鳴く

   にぎやかに歌女の鳴きをり文士村


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Note: この記事を編集し直した英語版(逆の場合もあります)を、海外読者用に
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蝉 ― 台所少納言と静寂の交響曲

2026/08/22 Sat

しんしんと蟬の和しをる祷りかな

(しんしんとせみのわしおるいのり/かな)

Muku





立石寺(山寺) ― from Wikipedia




🖋 台所少納言と静寂の交響曲

§ 台所での攻防 §

「それ、芭蕉の俳句を意識し過ぎじゃない?」

いま作ったばかりの俳句を諳んじて台所のガンコちゃんに披露すると、そう突っ込まれてしまいました。
彼女の言う芭蕉の俳句とは、もちろん次の一句。

  しずかさや岩にしみ入る蟬の声

芭蕉の句の中でも最高峰と言われることが多い名句です。
が、愚生の拙い句を俳聖の名句と比べようというつもりは毛頭ありません。

ガンコちゃんの批判にこう反論しました。
「芭蕉の句は山寺で詠んだ句。
蝉はミンミンだったという話もある。
が、私が耳を傾けたのはミンミン、アブラゼミ、ツクツクボウシの大合唱だ!
その大音声の蟬時雨の中でも深い静寂を感じたんだ。
『枕草子』の中で、清少納言は、蝉が絞り出すような声で祈る祈祷師の声を、『すさまじきもの』の類に挙げている。
それぐらいは知っているよ。
けど、その蝉時雨が厳かな誦経(ずきょう)のように聞こえたんだ。
蝉の声を仏の世界の声のように感じることってない?
古来、日本人は空蝉を見て、無常、輪廻、解脱を感じてきたぐらいだし。」

この私の反論も、一瞬でガンコちゃんのカウンターパンチに遭ってしまいました。
 「清少納言だって、枕草子の別の段で『虫は鈴虫、ひぐらし…』と、風情のあるものとして褒めているでしょ。」

千年の歴史を持つ古典をめぐる議論では、我が『台所少納言』には太刀打ちできません。

§ 静寂の交響曲 §

炎暑の空に響き渡る蝉時雨を、耳障りとか、余計に暑くなる、と感じる人もいるようです。
その蝉時雨が、私には御仏の声、造化の慈悲を讃美する詠唱のように聞こえることがあるのです。
― どう聴くかはその人の心持ち次第ではありましょうが。

蝉の声が岩という硬い物質にしみ入るという俳聖の詩の奥には、深遠な静寂の広がりがあります。
一方、私の蝉の句はそれとは違うもので、祈りの世界の蝉です。
蝉時雨の中で捧げられる黙祷であり、八月の祈りの儀式です。

日本の八月は、広島忌や長崎忌、世界の平和を祈る八月十五日など、鎮魂の月でもあります。
そうした祈りに和する蝉の声は、いわばレクイエムであり、『静寂の交響曲』に聞こえることがある、ということなのです。


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Note: この記事は海外読者用に英語で再編集して、
Medium上でも発信しています。




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茗荷の子

2026/08/19 Wed

茗荷の子竹取姫と抱き上げる

(みょうがのこ たけとりひめとだきあげる)

Muku





茗荷掘り (家内が描いた水彩画の一部)




🖋 茗荷を食べる国は世界で日本だけ?

英語でミョウガはよく"Japanese ginger"と紹介されます。
間違いではないにしても「日本産のショウガ」と勘違いされるような気がして、一般的な訳としてはあまり好きではありません。
"Myoga ginger"と言っても良いのではないか、と思います。
「それって何?」となったら説明すればよいのです。

sushiやtofuは今ではそのまま英語になっていますが、そこに至るにはいろいろな歴史的背景があったはずです。
ある一つのものが国際的な言葉としてアイデンティティを確立するのは、歳月を要することだと思うのです。

小さな筍のような姿をした茗荷の子は、夏から初秋にかけて日本の食卓を彩る伝統的な香味野菜ですが、実は、ミョウガを食用として栽培している国は、世界でも日本だけなのだそうです。

子供の頃、私は茗荷が苦手でした。
茗荷汁を「全部食べなさい」と言われ、泣きべそをかいたことを今でも鮮明に覚えています。
セロリやパクチ(コリアンダー)がそうであるように、茗荷の味は決して「子供向き」ではないと思ったりするのです。

あれから半世紀以上の時が流れ、すっかり「大人の味」を楽しむようになった今は、我が家庭菜園でもミョウガを育てています。
淡い黄金色の花の蕾を載せた茗荷の子を掘り上げるとき、私は自分があの『竹取物語』の翁になったような気がするのです。



今年はミョウガの当たり年


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Note: この記事は海外読者用に英語で再編集して、
Medium上でも発信しています。




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盆の茄子

2026/08/16 Sun

盆なすび白きも買ふて来たる妻

(ぼんなすび しろきもこうてきたるつま)

Muku





盆なすび (from Wikipedia)




🖋 お盆に白いナス?

白いナスがあることを知ったのは、遠い昔、アメリカに数年暮らした時のことでした。
日本のナスのように茄子紺色をしていたら、買って塩漬けにでもしたかもしれませんが、料理の心得もない当時は、スーパーで見ても、白いナスでは…と、ただ見送るばかりでした。

その白いナス(エッグプラント)を、最近、ガンコちゃんが時々買うようになりました。
ナスは家庭菜園でも作っているのに、なぜエッグプラントなのか。
白い精霊馬を作るつもり…ではなさそうですが。

いつか、ガンコちゃんにエッグプラントの思い出話をしたことがあります。
今、彼女がそれを買ってくるのは、ただ面白がっているだけなのか、それとも、私の青春の思い出を掻き立てるためなのか。

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Note: この記事は海外読者用に英語で再編集して、
Medium上でも発信しています。




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プロフィール

Muku Watanabe-渡邊むく

Author:Muku Watanabe-渡邊むく
愛妻ガンコちゃんと二人、神奈川県秦野市でスローライフしています。体調と相談しながら記事を更新しますが、いつでもお気軽にコメントください。|Your comments are always welcome.

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